2009年5月29日金曜日

肉体の進化







5枚の写真を見て欲しい。

1枚は、(株)サティスホームをはじめ7つの会社を経営する
廣田康之さん45才。1枚は私平秀信50才。

30代代表は今、伊勢隆一郎というマーケッターが取り組んでいる。
ひ弱で豚インフルエンザにすぐにかかりそうな彼が
どう変わるか楽しみである。

この段階で進化の方法による肉体改造は終わる。
後は、この体を維持していくだけ。

このようになるには大変と思うかもしれないが、
それほど難しくはない。

やり方は簡単。サーキットトレーニングを1日置きに行う。
サーキットトレーニングとは、

複数の運動を組み合わせたものを15分から30分間行う。
畳1畳のスペースがあればいい。
自宅でできる。しかもお金はまったくかからない。

もちろん、ジムに行く必要もなければ、
汗をかいて走る必要もない。

食事制限はないが、炭水化物を少なくし、適度な量を食べる。
(ビール、ラーメン、カレー、天ぷらは避けたい)

詳しくは、Mrxの進化の方法の全公開を待ちたい。

その前に、私が行った準備段階の方法を書いておく。
進化について興味のある人は、まず、ここから取り組んで欲しい。
そうすれば、サーキットトレーニングにもスムーズに入れる。

もしもあなたが、想像の限界を超えたレベルに行きたいのなら
今から準備をしておくといい。

進化の法則には、

1,肉体の進化

2,感情の進化

3,精神の進化


がある。私は
その全てを習得するために厳しい修行を繰り返している。

ある意味、これを手に入れるためにいままでの人生が
あったと言っていい。

肉体、感情、精神、3つのうち、進化が一番難しいのはどれか?

そして、なにをはじめにやらなければならないのか?

それは、肉体の進化。

これが一番難しく、一番はじめにやらなければならないことだ。

そんなことやらなくても、お金儲けのテクニックだけ
知れば問題ないでしょう。

そういう人は、そういう考えでもかまわない。
それでも成功できる人はできるの。

私がなぜ、進化の方法に取り組んでいるのか?

その理由は簡単。

自分の尊敬するメンターが「やった方が良い」というからだ。
それだけの理由。

なぜ、どうして、どうやったら・・・
理由が納得できないとなにもしない、という人もいる。

当然、進化の方法には根拠や、理由はある。
私は、進化のトレーニングを初めて、3ヶ月目に理由を知った。

そして、心の底から納得した。

話は少しそれる。面白い話があるのだが、

2ヶ月ほど前にマレーシアのランカウイという島に行った。
ゲストハウスに2週間ほど泊まった。

ランカウイには世界最高のホテルがある。
私は勉強のために1日そこに宿泊した。

超高級ホテルなので、お金持ちしかいない。
しかも、高齢者が多い。

ビーチに行った。
イギリスから来た老人グループがいた。8名くらいか。

彼らは海にぷかぷか浮かんだり、ベンチで本などを
読んでいた。

私は、ビーチにつくとおもむろに、サーキットトレーニング(以下ST)
をはじめた。腕立て伏せ、腹筋、かえる、スクワットなどなど。

すると、老人達は、本を読むのをやめ、プカプカをやめ
私を見始めた。なにやってるのかな?あの中国人という
好奇心の目。

私はひたすらSTをこなしていった。
そして終わって、ベンチにかえってきた。

すると、老人達が、ワンダフル!と拍手喝采。

あなたはすごいですね。おいくつですか?
なぜあんなことできるんです。

私の旦那は1分も無理。
お前すごいなー、教えてくれないか?

などなど、誇張ではなく称賛の嵐でした。

老人達とは10才から15才くらい離れていたと思う。

私は、老婆に誘われるとまずいと思い、早々とビーチを
立ち去った。

また、こんな事もあった。

タイ、バンコクに、やはり、世界有数のMホテルがある。
ホスピタリティーが素晴らしいホテルだ。

Mrxセミナーに行く前に、1日だけリッチな気分を味わいにいった。

プールに行った。その時は廣田さんも一緒だ。

ビーチに行くと不思議なことに、男のカップルが多い。
みなゲイなのだ。ヨーロッパ人のゲイ。

プールサイドには、30くらい席があったと思うが、
そのうち3分の2がゲイカップル。

ウソだと思う人は、ぜひ、Mホテルに行って見て欲しい。

ゲイの世界は良くしらなかっが、
聞いた話では、肉体がしまっていないと価値がないらしい。

ぶくぶくした男は価値がないという。
つまり、誰も相手にしない。

プールサイドで皆なにをしているかというと、
他のカップルを品定めしていた。

「あの二人センス良いね!」
「お前、あのくらい絞った方が良いよ」

という感じ。私達はまだそれほどしまった体を
していなかったので、相手にされていなかった。

良かった。

余談だが、プールに入って潜水をしたら、男のカップルが
あそこをもみ合いしていた。

体を鍛える。

気持ちも充実する。
気力が蘇る。

エネルギーが充満してくるのがわかる。

毎日少しの運動、是非やって欲しい。

私が、準備段階に参考にしたのは、以下のサイトだ。
左側にある、腹筋、スクワット、腕立て伏せなどを行っていた。

http://www.kintore.info/

2009年5月28日木曜日

2009年5月16日土曜日

№15 これがラスト

2008/12/30 チチハルー北京

平さま、

お疲れ様です。

今は夜の12時くらいだと思いますので
ゆっくりと寝て休んでおいて下さい。

明日の予定ですが、まずは水を500ml飲み、サーキット、
歯磨き、朝食をしっかりと終わらせて下さい。

それが終わったら以下を行って下さい。

1: 龙沙公园 に行って下さい。そしてそこにある物を全て見て下さい。
証拠写真を撮って下さい。

2: 清真寺 に行って下さい。同じくそこにある物を全て見てください。
証拠写真を撮って下さい。

以上を行ったらブログをUPして私にメールをして下さい。

現在までに写真をたくさん撮ったと思いますので
それらもしっかりUPしておいて下さい。
以上が終わりましたら次の目的地をお伝えします。



朝8時に起きる。いつものようにサーキットを行い、歯を磨き、水を飲む。
朝食を食べなければならないのだがお腹がすいていない。
それと、中国のご飯が怖くて食べられない。

チエックアウトして龍沙公園に向かう。バス停はすぐに見つかる。
指示通り15路のバスを探し乗り込む。
バス代は1元だ、安い!7つほどの駅で降りる。

指で数えていたら、分からなくなった。焦った。違うところで降りたらかなり歩く。

外はとにかく寒い。耳がちぎれそうな寒さだ、
北海道の知床当たりの寒さではないか?いったことはないが・・・

行き先を書いた手帳をおばちゃんに見せた。まだ先だという。
俺がそわそわしていたら、違う女性が、ここで降りろ、降りろと教えてくれた。

公園は子供じみた公園だった。下手な氷の彫刻祭りをやっていた。
札幌の氷祭りとは比べものにならないな。
色々見て回ったがうちの田舎の公園とかわりない。

この寒さで卓球を外でやっているのには驚いた。
何を好きこのんでやっているのか。
デートを楽しんでいる人、観光の人が数人いた。

15分ほど居たが、何も得られそうに無いので去ることにした。

Mrxは何にでも意味があるというがこの公園は無いと断言できる。
しかし、バスの乗り方、バスの安さを学んだ。

その後、歩いて清真寺という寺を探した。
歩いていける距離かどうか分からない。とりあえず道を聞く。
道を聞くことにもなれた。といっても、紙に書いて見せるだけなのだが。

そこをまっすぐ行けといわれた。とりあえず歩く。
どのくらいで着くのか分からないので不安だ。それに寒い。耐えられない。

とりあえず、近所の病院に入った。
バックパックからタオルを出し、マスク代わりにする。
道を歩いている人も、マスクをしている人が多い。

道に沿って、高級マンションが多数あった。
警備員が居る本格的なマンションだ。しかもでかい。

中国に来ていない人は、来てみると、噂に聞いている中国と違う事に驚くと思う。
とにかく発展している。日本とそんなに差はないのではと感じる。
貨幣の価値は、13分の1くらい。安いものは極端に安い。

マンション群を左にみて歩いた。タオルがきいて寒さも我慢できる。
また、道を聞いた。すぐそこだという。左に曲がった所に寺が見えた。
あの寺が違ったら帰ろうと思った。

やはり寒さに耐えられない。
その寺が、清真寺だった。

特に寺に興味があったわけではないので何の寺かも知らない。
今回の旅は観光が目的ではない。なので、地球の歩き方も持ってきていない。
本当に着の身着のままである。

寺の中を散策。といっても、すごく小さな寺で、直径20Mくらいか?
寺の修行層、若いのが3人ほど居た。
お賽銭をやり、写真をとり帰る事にする。

今日は、Mrxの指示通り2つの事ができた。うれしい!

そう思ったら、目の前にケンタッキーがあった。
自分にご褒美と思い、また、ここまでの事をブログに書き、
写真をアップしなければならないので、コーヒーを飲むことにした。
ついでに、ハンバーグと鶏肉を食べた。

バス停に向かう。バス停で石焼き芋を買った。2元。高いなと思った。
ぼられたか?
こちらの石焼き芋は水っぽい。うまくない。
しかし、何か食べなければ持たないので食べた。
バスは5分ほど待って来た。乗り込み、チチハルの駅に向かう。

次の指示は黒川に行けだ。

駅の中で時刻表を見た。おかしい。
黒川行きが隔日になっている。しかもすべて満席!
駅を見渡した。すごい人間の数だ。中国も帰省ラッシュなのだ。

困った。6:40発と書いてある。
隔日なので、今日発は明日発か分からない。

質問しようにも聴き方がわからない。今回は電子辞書を持ってきたので、
困ったときに引いて、それを書いて見せているのだが、
込み入ってくると分からない。

とりあえずMrxにその旨をメールする。
黒川が隔日、いつ発かわからない。しかも、満席表示。

チチハルからは、大連、丹東、北京に列車が出ている。
どうしたらいいか。

俺の予測は、Mrxは変人なので同じ所には行かないと思い、
北京だろうと考え、北京の列車を調べた。

Mrxからの返事は、北京へ行けだった。
少しほっとした。少しでも南に行けば暖かいだろうと思った。

このまま北に行ったらロシアだ。
もし、Mrxの指示がロシアだったら、無視して北海道に飛行機で向かおうと思った。

ここでも困った。
北京行きの列車がどれも満席なのだ!
今回は一般に座って行こうと思っていた。

しかし、調べてみると丹東よりも遠い!2000キロもある!無理だ・・
明日まで待つか、途方に暮れた。

どうしようもなく中国の知り合いの孫さんに電話した。
彼女は、日本語ができる。
孫さんが、近くの学生っぽい女の子に電話を替わってという。

何人か声をかけるが、みな断られる。
カップルの16才くらいの女の子が替わってくれた。
孫さんとなにか話をしている。女の子が了解したらしく、俺を引っ張っていく。

しかし、窓口は全部沢山の人が並んでいるのだ。
女の子はまったく気にせず、並んでいる人をすっ飛ばし窓口に行き話を始めた。

そして、俺にお金を出せという。俺はすぐに300元出した。
事前にいくらかかるか、掲示板を見ていた。それですぐに買えた。

いったいどういうことか?どうして誰も文句を言わないのか。
みな1時間以上も並んでいるのに・・・分からない。

さらに女の子は、おれを引っ張り、乗り場の入り口まで連れてきてくれた。
孫さんがそう頼んだのかも知れない。しかし、親切だ。

女の子と彼氏は、俺の出発まぎわまで見守ってくれた。
最後に携帯で写真を撮られた。笑顔で分かれた。

ここでも、少しお礼を渡そうとしたが、断られた。
中国の若者はほんとに親切だ。最後まで面倒を見てくれた。

列車に乗り込んだ。また寝台車だ。申し訳ない。
しかし、座ったままで本当に何十時間以上も耐える必要があるのか少し疑問だ。

たしかに、座っている人、底辺で働く人の気持ちは分かると思う。
しかし、自分も小さな時はそうだったのだ。そして、貧乏を乗り越えてきた。

良い生活をしたい。
他の人より、うらやましがられる生活を絶対にすると決めた。

そして、そうなった。

結局それが行きすぎてしまったのかも知れない。
いつも、自分の原点を思いだしていれば、
そして、すこしの成功に感謝していれば、今のようなことはなかったのだ。

俺は、原点を忘れていた

九州の田舎から夜行列車に乗ってきた。
母と兄とこの列車の一等と同じように、堅い椅子に座ってきた。

泣いて、母を困らせながらきたのだ。

兄は、強かった。泣き言も一言を言わずただ我慢していた。
何十時間も夜行列車に揺られ、家族3人で長野県の富士見という町に着いた。

母は土方達の世話をし俺たちを学校に行かせてくれた。
俺は、土方達と遊んだ。楽しかった。貧しかったが気持ちは豊かだった。

それは、誰もが、助け合い生きていたからだ

お金のない人を少しお金のある人が助ける。
お金がなくても、働いて助ける。あるものをくれる。交換する。
そして、みんなで寄り添って生きてきたのだ。

家族が俺を守ってくれた。そこに仕事が無くなると住み家を転々とした。

リアカーに乗るくらいの荷物しかない。

学校の友達とお別れし転校していく。何回も転校した。
いつも、兄がいたので助けてくれた。
俺は体は小さかったが、負けん気が強かった。だからけんかにも負けたことがない。

しかし、いつしかけんかが怖くなった。

けんかをすると母が困る。学校を退学にされたら申し訳ない。
そういう思いが強くなり、自然とけんかしなくなった。

そして、けんかしても、すぐに謝る人間になってしまった。

屈辱だった。

どうしても、家族に迷惑をかけるわけにはいかない。
俺は耐えた。そして、暗い笑わない子供になっていった

貧乏は続いたが、母や兄がいつも俺を守ってくれた。
だから、おれは、それほど本当の貧乏を知らないのかも知れない。

俺は、人にいつも影があるねといわれた。
自分でもそう思っていた。

明るくしてはダメだ。暗くしていよう。困った顔をしていよう。
その方が、周りの人が喜ぶ。
喜ぶというか、俺を見ていたら、自分の方が上という気持ちになれる。
その方が相手のために良いだろうと思ったのだ。

俺は小学校2年からの前の記憶がない。どうしても思い出せない。

だから、保育園に行った記憶、小学校に入学した記憶もない。
長野に転校してきた時から俺の人生が始まっている。

思いだそうとするのだが、どうしても思い出せない。
それはいいのだが、俺の過去だけが暗い分けではない。
もっと悲惨な過去を背負っている人もいる。

しかし、人は人だ。自分がどう生きるかそれだけが問題なのだ。

今回の旅をわがままという人、
子供の遊びかと言う人、色々な意見があった。

すぐにいきなさい、そう言ってくれたのは妻だけだ。
妻は俺が旅をすると決めたことをとても喜んだ。

しかし、今回の旅はMrxの意見で決めた。Xの指示で動く。
そう言ったら少しがっかりした。

そうなんだ、自分で決めたのではないの・・・
いや、決めたのは俺だ。

今までのような豪華な旅行など考えていなかった。
というのは、実はウソで、マカオに行って女と遊ぶか、
タイの高級ホテルでパーとやるか!という気持ちもどこかにあった。

しかし、その気持ちは、Mrxの初日の課題で吹っ飛んだ。

新宿のバスターミナルに着きバスに乗り込んだ。
ああ、俺の孤独の旅がはじまるんだ。
そう思ったとき、
そして、妻の見送りの最後の顔を思いだしたとき俺の覚悟は決まった。

俺は必ず旅を続ける。

1年間・・・それは考えない。
今日をやり遂げ、明日の指示をこなし、その意味を考えたい。
考える時間はたっぷりある。

こうやって書いていると昔を思い出す。走馬燈のように駆けめぐる。
苦しいこと、楽しいことがあった。
そういう事を1年に1回でも一人になり思いだし、
感謝し、考えていれば、おれは旅に出る必要も無ければ、
なやむ必要も無かったのかも知れない。

俺は母に愛され、兄に大切にされ、家族に尊敬されていたのだ

そのことを少しでも思い出せば良かった、自分の欲に負けた
欲を追い求めるのはいい。
しかし、その欲に負けてはいけなかったのだ。

欲を利用する。戦わない。
手に入る現実が目の前にきたら、考えて手に入れる、
その時、必要無かったらかっこつけないで手に入れない。
それができれば良かった。

今ならできる。今日は、少し自分が成長した気がする。

少し心が軽くなった。もう外は真っ暗だ。とてもくらい。

俺の心もこんな闇だったのか。寝よう。

朝早く起きもう一度振り返ってみよう。孤独の旅に感謝する。








今日のブログで孤独の旅を書くのをやめます。
いつの日かこの続きを発表できる日が来ると思います。

自分の原点。コア。

私たちにとって最も大切なものであり、最も邪魔なものでもあります。
コアを探し求めるべきか、コアを捨て去るべきか。

コアとは、天使と悪魔のようなものなのです。

人間はいくつもの性格、パーソナリティーを自分の中に持ち合わせています。

挑戦しよう自分、守ろうとする自分。
やろうとする心、チョット待てと考える心。

そして、どちらでも良いという心です。

私は自分の心の持ち方でとて悩みました。
そして、旅に出ました。

今どうしているのか?

会社は復活しています。
苦しいながらも皆が一つになり頑張って、私の帰る日まで守ってくれています。

みな私の帰りを今か今かと待っています。

今すぐにでも帰りたいです。

しかし、今帰るわけにはいきません。

私が帰るときは、エネルギーが体中に充満し、臨界点まで来たときに
帰るつもりです。

では、帰って今までと同じような激しいマーケッティングを仕掛け
同じようなビジネスをするのか?

それはないと思います。

今、満たされた毎日を送っています。
このように素晴らしい人生を生きられるのは、

他でもない、あなたも含めて全ての人のおかげです。

私は今まで自分にスポットライトを当ててきました。
しかし、もう良いです。

これからは、多くの人に光を与えていければ、
いえ、それさえも考えません。

たった一人の人間さえも幸せにできない私が大きなことを言ってはいけません。

人は小さくならなければ、人の気持ちがわかりません。
相手の目の中に入れるくらい、耳の中に入れるくらい

自分を小さくする。

そうすれば、どんな人の心にも入り込め、その人の気持ちを理解できます。

それが最も大切です。

私は、働くことで学んできました。
働くことで、一生懸命働くことで、

人生の全てを学んできたのです。

これが私の原点、コアです。


コアとは、人それぞれ違います。
あなたのコア、私のコア、皆違います。

あなたあなたのコアを見つけ、そして、どう生きるべきかを考えてください。

このブログがそのきっかけになれば幸いです。

追伸

1習慣ほどお休みし、今度は打って変わって

第2の人生についてお話ししていきます。

それでは、see you

please give me a message !
50agelife@improbic.com

№14 妄想












2009年12月29日 チチハル 

今回もMrxの課題を守れない。
チチハルまで寝台で来てしまった。
宿泊は30元以下を指定されたがそれも無理。どうしても泊まれない。
限界を超えたいが・・・今日は、150元のホテルに泊まったしまった。

自己嫌悪に陥る。

列車は午後4時に丹東を出た。
列車のクラスは、普通と寝台さらにその上がある。

俺は、今回普通の寝台を選んだ。Mrxは必ず一般の人が乗るクラスを指示する。
しかし、22時間、座って・・・無理ダーと思った。
いうとおりできないのは申し訳ない。次は必ず挑戦する。

列車は普通列車なので各駅に停車していく。
とてもゆっくり。ジーゼルだと思うが余り力もない。
丹東駅では、1時間おきに長距離の列車が出発していく。

様々な人がいる。数人を観察してみた。
何を考えているかは分からないが、身なりで一般か寝台か、
つまりお金があるか無いか分かる。少しのお金でも切り詰めて家族のために残す。
おみやげを買って帰るのではないか。

寝台が175元。一般は55元だった。
途中でかなり降りていったが、それでも、12時間以上は座り続けている。
しかも、3人掛けで対面だ。体を動かす余裕はない。

みな、文句も言わないで黙々と座り続けるのだ。
自分のためだったら寝台に乗るだろう。しかし、我慢して一般に乗る。
若い人でも苦痛だろうから年寄りにはこたえると思う。

誰もが、家族のため、他の人間のために自分の身を犠牲にしている。
そして、それを犠牲とは思っていない。

家族が喜べばそれがうれしい。そう考えているのではないか。
俺にはその思いがかけている。どうしても、自分を優先する。
家族を優先しない。

他の人を優先するかといえばその記憶も無い。
俺は他の人が働いて稼いだお金で贅沢をしている。
社員が給料30万でやっていても、俺の給料はその100倍。

その金を何に使っていたのか。とても言えない。
どう考えても間違っている。
みんなが働いて稼いだお金を俺が好き勝手に使って良いわけがない。
自分のアイデアで会社は稼いだ。そういう思いがあった。

俺がいなければ会社は成り立たない。そんな事は当たり前の話だった。
社長なのだから誰よりも働き、誰よりもアイデアを出し稼ぐ。その金を有効に使かう。

口では税金を沢山払い社会貢献をするといっていたが、
実際行っているが、気持ちの上ではその気はない。
みんなの稼いだお金を好き勝手に使っていたのだ。

ここに来て、お金の価値、自分の思っている価値と
人の考える価値は違うように思う。

俺はセレブになりたかった。
良い車に乗り、高級マンションに住み、ブランド品の服をきて、
最高のレストランで食事をする。

その世界を極めたいと思った。
しかし、いつの間にか事業はうまくいかなくなり、儲からなくなった。
それでも、自分の給料はかなりあったので使った。

一度見栄を張ったものは、なかなか元に戻れない。
飲みに行けば、割り勘はかっこわるいと自分が全部払った。

今日も列車でまたやってしまった。
女性の車掌さんにチチハルでおりるとき、残っていた小銭を差し出した。
どうぞ。というきもちだ。
しかし、車掌は笑って受け取らなかった。

旅の途中でしょう。大切にしなさい。そう言っていた。
笑顔で俺を送り出してくれた。

どうして俺はこういう事をやってしまうのか、自己嫌悪に陥る。
もし自分だったらうれしいか。うれしくない。施しは受けない。
バカにするなと思うだろう。相手の気持ちを理解できない。

自分も気持ちを優先してしまう。俺は大きな勘違いをしていた。
全ての人を下に見ていた気がする。―どうしてそうなのか。

お金でおごったり、お金をばらまく人間は必ず失敗する。
それを俺はよく知っているはずだ。
なのに、自分がそれをしてしまう。まず、これをやめよう。

どんな人にもプライドはある。相手の気持ちを考えよう。
下に見るのも、かわいそうという気持ちも棄てよう。
人間に価値を付けるのは恥ずかしいことなのだ。

セレブの世界に入りいつの間にか、一番嫌らしい人間になっていた

悲しい。

どんな人間にも生活があり家族を守っている。必死に働いている。
ただ働き続ける。自分の生活をよくしたいと思うのではない。

他の人間を幸せにしたいと思って働いているのだ。そういう人間達と付き合おう。

お金を沢山払い、高価なワインを飲み、バーで騒ぐ。
その場は楽しい。良い気持ちにもなる。ワインの奥を知ることもできる。

しかし、そんなものは毎日やる必要はないし、尊敬できる人間とやればいい。
きれいで、ワインに詳しくて、上流の世界を知っている。
そういう人間にも尊敬できる人はいるかも知れない。

しかし、俺の周りに居たか。いない。
俺は損得で動き、お金にものを言わせ、本当に文化的な事を学ぼうとしなかった。

表面的な人間だからだ。だから、同じような人間が集まる。
もう、その世界はきっぱりとやめよう。

好きな人と安いくてもおいしい店を探す。楽しい会話を楽しむ。
人生について語る。俺の旅を語る。俺の人生を語り相手の人生を知る。

深い人間なら、それが一番素晴らしい話のはずだ。
生きてきた人生以上に素晴らしい話などあるわけがない。

俺は自分を語る。その話が興味深く、ためになり、誰かの手助けになる。
そんな人間を目指したい。

中国の人を見ていると、たまに着飾った人がいる。
今回の列車にもいた。その人達を尊敬できたか。できない。

大きな荷物を持ち、子供の手を引き、笑顔で話しかける。
そんな家族は見ていてうれしくなる。こっちが暖かい気持ちになる。

なぜ、俺は、大切な家族を大切にできなかったのか。
もっと、もっと色々な人間を見て考えてみたい。

列車は22時間乗った。時間がたつにつれ本当にこの列車で大丈夫か不安が広がる。
12時間以上走った。あたりはみな雪の平原だ。
駅がある程度の距離で存在するのでとまる。
とまる度に、ここではないかと不安になる。眠れない。

心臓が締め付けられる。もし、ここでおろされたら、いったい俺はどうなるのか。
言葉は分からない。所持金は少ない。ご飯はどうしよう。
ドンドン不安になる。

最終地点のチチハルに近づく。本当に大丈夫か。
まったく違うどこかに行かないか。チチハルにホテルは本当にあるのか。
心臓がきりきりと痛い。水を飲む。

そわそわして、バックのなか、ズボンのポケットを何度もまさぐる。
前の中国人の目が怪しい。トイレにもいけない。
いくときはバックに布団をかけていった。トイレに入る。
大便ができない・・・いやだ。我慢する。

大便がきになり中国のご飯が食べられない。
当たったら悲惨だ。1分おきにトイレに行くのは嫌だ。
我慢してまたパンを食べる。

青汁の粒を持ってきてあったので、それで、栄養を補給している。
中国のご飯になれる事はできるのか。そう言えば、色々聞くことになれてきた。

といっても、言葉には出ないで、紙に書いて見せている。
返事が中国語なのでまた分からないが、安いホテルはないか?
いくらかかりますか?ここにはどう行けばいいですか?
など、見せて聞くようにしている。

しかし、とにかく寒いのですぐに限界になる。ああ、分からない。

今日はあきらめて明日からまた頑張って聞こう・・・
とすぐにあきらめてしまう。

仕事では粘ることができるのに、少し不安になるとすぐにお金に頼ろうとする。
何とかならなか。

22時間色々考えた。逆に、考え無くなって来たことがある。
それは、女の事だ。あれをして、これをして、また、こういうHしたいな。
など、最初の頃は考えていたのだが、どうしても、考えが進まなくなってきた。

人の観察、自分の過去などをふりかえろうとすると、
いつまでも振り返ることができる。これはこうだな。
その場合こうしたらどうなっていたかな?すぐに忘れてしまうのだが、
振り返り、思いだし、一人で笑ったり寒気を覚えたりしている。

しかし、こと女の事になると続かない。
これはどうしたことか?自然に考えなくなればいいのだが。

メールが誰からも来なくなった。

お正月休みということもあるがとても静かだ。と同時に寂しい。
どうしてだれも心配してくれないのか。
俺の旅よりも正月休みが大事か。

孤独の旅と言ってあるので、
みな気を遣ってメールをよこさないのだと思うが、やはり連絡がないのは寂しい。

今日の一番の気づきは、将来のことを考えない、ということだ。

列車を待つ間、列車のなか、
列車から降りる人達をみていて今を一生懸命生きているように見えた。
未来に絶望するわけでもなく頑張って働いて、
1日が何事も無く終わる。家族が待っている暖かい家に早く帰る。

頑張ってくれてありがとう。
早く暖まって。そう声をかけてくれる家族がいるだけで幸せだ。
人々を見てそう思った。

俺は将来どうしよう。理想の生活は?来年はどうやって稼ごう。
その次は、そして、死ぬときの事ばかりを考えていた。
幸せに死にたい。笑って死にたい。
自分はそんな生活をしていないのになんで、そんな死に方ができるか。

将来をあれこれ望んでどうなる

今。どうやって切符を買うか、トイレをどうするか、どこで降りるか。
列車を降りた後の事を考えても仕方がない。
そこに、ホテルは無いかも知れない。
列車がなにかあって着かないかも知れない。駅で逮捕されるかも知れない。

何がおきてもおかしくないし、何もおきないかも知れない。
わからない未来をあれこれ想像しても仕方がない。

今は、与えられた課題をこなす。次に進む。思考の壁を破る。
今を正直に生きる。それが俺に与えられたことなのだ。それをやり遂げよう。

№13 寒さとの戦い

2008/12/28 中国丹東2

今日は思わぬお金を使ってしまった。かなり痛い。
あまりに寒くて服を買ったのだ。

お金がないので中国銀行で換金した。
探して換金するのに3時間もかかった。疲れる。

しかし、現金を使いたくないのでクレジットカードの使える店を選んだ。
それにも関わらず、服を買い終わって支払いの段階で使えないという。
文句を言っても通じないので、しかたなく、現金で支払った。

その後裏の露天で服の金額を見たら、同じようなのが20元で売っていた。
350:20なんなんだこの差は。
自分がもっと調べて買えばよかったのだ。損をした。とても悔しい。

損をすると本当に悔しい。

昨夜のホテルは、どうも飲み屋が並列しているらしく、
夜10時頃沢山のお客が廊下で女と騒いでいた。
同じような部屋がずらっと並んでいたので、変だなと思ったら、
やはりそういう宿だった。

宿泊費は180元だ。しかし、外で見た金額は80元だった。
外国人だから倍取られた。交渉すれば良かったのかな。
とりあえずチエックアウトして今日行かなければならない
北朝鮮との境の川にいく。

そこへは15分ほどで着くというので、安心して出かけた。
―しかし、それはMrxのウソであった。

川の方向が分からないので、紙に書いて見せながら歩いた。
しかし、歩けども、歩けども着かない。

もう小1時間歩いた。迷いに迷い寒くて死にそうになる。
マイナス15度。

暖かな服が欲しい。タクシーに乗りたい。
しかし、今日だけは歩いてみよう。なにせ、まだ時間が早い。

お金を出せば何でも楽に手に入る。お金のありがたみが分かる。

やっと着いた。体は冷え切った。小こりのようだ。

俺は切符売り場に向かう。

切符をくれというが通じない。またか・・・どうして分からないのか。
ここで、ラーメンをくれというわけがない。切符に決まっているじゃないか。

電子辞書をだし切符をください。と音声でいった。
ああ、といいすぐに切符をくれた。ため息が出た。

何時に出発か聞いた。30分後だった。
とりあえず船に向かった。
韓国籍の船だ。お姉さんが早く乗せてくれた。ありがたい。

この川の向こうが北朝鮮だ。大きな橋が架かっている。
必要な物資の移動なのか。

客が乗ってきて満席になった。客は中国人のようだ。
丹東は観光地でもあるので、沢山の中国人が観光に来る。
船が出発した。川から見る中国はすごい。なんだこれは?!

まるでドバイだ。ものすごい数のマンション群が完成している。
数十キロに渡り、マンション、ビルが立ち並ぶ。全て高層だ。

船から右を見ると近代都市、左を見ると、どんよりとした灰色の世界の北朝鮮。
さび色の世界だ。あまりの格差に目を疑う。

写真、ニュースなどで見ていたが、自分の目で見る北朝鮮は、
赤さび色の世界だった。静かだ。中国が動、北朝鮮が清。
客は陽気で騒いでいた。船の女も元気に解説をし、売り込みをしている。

観光はどこの国でも同じだ。
電車の駅でも、観光客、帰省客などが沢山の荷物を抱え行き来している。
日本とどこが違うのかといえば服の色が違う。
日本はもう少し華やかな色を身にまとっている。
中国は、黒、灰色の服が多い。ももひきも100%の人が履いている。

俺はどんなに寒くてもももひきは履きたくなかった。
もし、何かで病院に担ぎ込まれ、服を脱がされる。ももひきを履いている。
死んでも嫌だ。恥ずかしい。

俺は凍傷になってもももひきは履かない。

船は北朝鮮に限りなく近づいていく。近寄っても色がない世界だ。
しかし、振り向くと近代。
このギャップには笑ってしまった。30分ほど航海し船は帰った。

船から下り、少し歩いた。
寒い!無理。タクシーを拾いバスターミナルに向かった。
―本当はバスを使わなければならないのだが・・・

切符売り場に行きチチハル行きがあるか調べた。
次の行き先がチチハルというところだった。

あった!午後4時発。ちょうど24時間後にチチハルに着く。これを買う。
切符の買い方は分かっていた。売り場に行き寝台を買った。
座ってでは24時間は無理。無理すればいけるかも知れないが旅は長い。
ここは、少し贅沢をすることにし寝台を買った。
170元。出発まで時間があった。チチハルは寒い。カムチャッカの緯度だ。

しかし、なんでチチハルなのか?なにか大切なものでもあるのか?

風を引いたらおしまいなので、しかたなく暖かい服を買いに行った。
カードで買おうと思い、デパートに行った。―同じことを2回書いている。
寒くて思考が働かない。
しかし、カードが使えない。なんでー?仕方なく、町を探した。
何件かにカードが使えるか聞いた。

どこもダメだ。ナイキに入った。カードが使えるという。
ラッキーと思い、ナイロンのズボン、長袖の下着、帽子、手袋を買った。
日本円で13000円くらい。高い!

支払いの段になりカードが使えないという。
別のカードを出したがダメだ。仕方なく現金を払う。
元が無くなった。店の子に、両替に付き合ってくれと頼んだ。
OKと気持ちよく一緒に銀行に行ってくれた。

中国銀行だ。銀行の前には怪しい男が両替しないか聞いてきた。
店の女の子が、ダメだといい中に入った。
受付の銀行員が手続きをしてくれた。200ドル変えた。1340元だった。

一安心し町を歩いた。服も替えたので暖かい。快適だ。
一回りしてまた駅に来た。暇なので、絵を2枚描いた。
また歩いた。どこまで歩いても同じ世界だ。

丹東は都会なのだ。どこまで行っても大都会だ。
人口300万人くらい。今回の旅は観光が目的ではない。
どっちかというとどこにも行きたくない。迷いたくない。

どこかで拉致されたらどうしようという不安が強い。
なので、どこにも出かけないで町をぐるぐる回った。
知っている所しか歩きたくなかった。

まだ時間がある。ケンタッキーに入ってコーヒーを飲みながら書いている。
この後電車でチチハルに行く。24時間列車の旅だ。
耐えられるだろうか。24時間何をすればいいのか。

想像するだけで、気持ちが落ち込んだ。

№12 どん詰まり

2008/12/27 中国丹東

朝7時半に大連のホテルを出た。
向かう先は大連南バスターミナルだ。

その場所をホテルフロントで聞いたが一人目のホテルマンは分からない。
二人目に聞いいて分かった。どうも、中国人でもバスや列車に乗らない人は
沢山いるようだ。
俺も田舎のバスターミナルは知らないな。

タクシーで向かった。・・・乗ってしまった。
15分ほどでバスターミナルについた。

着いたはいいが、また何が何だか分からない。
どこにバスがいる?どこからはいる?本当にここか?
俺は疑り深くなっている。

いつもパニくる。どうしても落ち着けない。
一度外に出て確かめる。
大丈夫そうなので切符を売り場で丹東まで行きたいと書いた紙を見せる。

しかし、切符売りの女は知らないという。

知らないといったかどうか分からないが、よそへ行けという。
なんで、こうなるのかナー。いつも、一発でうまくいかない。

少し人の動きをみて考える。一番右の窓口の姉さんがいい人みたいだ。
そこへ行き書いた紙を見せる。―昨晩電子辞書で切符の買い方を調べたのだ。
OK切符はある。しかし、寝台はないという。

寝台?そんなに時間かかるわけないのに、おかしい。
また不安が広がる。座る席ならある。

後10分で出るがどうすると聞かれる。
俺は不安を抱きながら切符を買った。すぐに指定された1番出発口にいった。

汚いバスが泊まっていて、大連―丹東と書いてある。
これだな。と思い、乗り込む。しかし汚い。ヘボイ。
本当にこれで行き着けるのか。すると、改札の女が降りろという。
これではない。次のバスだと。ほっとした。

少し待って次のバスが来たので乗り込んだ。
客は、俺と後3名しかいない。この人数でいくのか。
儲からないなと思った。

しかし、その思いはすぐに勘違いだとわかる。
バスは、次々と停留所に止まり客を乗せていく。

おかしい!と思った。

その時、隣を高速と書いたバスが通り過ぎた。
あ!これは、普通のバスで、高速バスがあったのか!?しかし、もう遅い。
腹を決め、ゆっくりすることにした。

高速バスで4時間といっていた。
なので、普通のバスなら8時間はかかるなと思いぞっとした。
また胃が痛くなった。どうして、ことごとくうまくいかないのか。

バスはとにかくよく止まる。10分おきに次々と止まりお客を乗せていく。
ダメだこりゃ。
お客がいくら払うのか見ていたら40元だった。

バスは、田舎、少し都会、都会と同じような町を過ぎていく。
町と町が少し離れていて、だんだん都会になる。
過ぎるとまた田舎。この繰り返しだ。
田舎は恐ろしいほど田舎で、都会は東京なみの都会だ。

しかし、寒い!バスのヒーターがきかない。

運の悪いことに、俺の座った席の真上がスピーカー。
中国の漫才を延々と8時間聞かせれた。しかも大音響で・・・

何か考えようとしたが、とても無理。
人生は孤独だ・・・なぜならと考えると、
スピーカーから謝恩舎中経計噸など、訳の分からないお笑いが続く。
参った。ぐったりしてきた。

他の客は大笑いしていた。
俺は一度も笑えない。今の自分を笑った。

バスの外は小こりつく世界だ。大きな川が、流れている状態
のまま凍っている。寒さに耐えながら4時間過ぎた。休憩タイムだ。

道中トイレにいけそうもないので、水を飲むのを我慢していた。
少し外に出てゆっくりできた。また乗り込む。

大連の女性は皆きれいだ。ビックリするほどきれい。

そういえば、昨日の夜、ホテルの電話が鳴った。
マッサージはどうだという電話。俺は孤独の旅をしているのでと断った。

電話の女はしつこかったがなんとか切った。
すると、10分後くらいに、女がドアをノックした。

俺が電話を切るとき、サンキューと言ったからか?!
やばいと思い布団をかぶりいないふりをした。
何度もノックが聞こえたが、死んだふりをしてやり過ごした。

8時間後に丹東に着いた。とても賑やかだ。
天気はどんよりとした曇り、昔中国に来たことがあるが、やはりこんな天気だった。
晴れることはないのかな。寒さは大連と同じくらいだ。

誰もが厚手のジャンパーを着て、手を服に入れている。
町を少し歩いて回ろうとした。しかし、客引きが多くいつまでも着いてくる。
ホテルを紹介したいようだ。無視すると他の客引きが来る。

足場早に立ち去りご飯を食べようと思った。
下痢になるのが嫌で、中国のご飯が食べられない。
今日もパンとお菓子を食べただけだ。少し栄養をと思い、
ケンタッキーがあったので入った。セットで26元。東京と変わらない。
若者が多い。隣は大きなデパートだった。

心配はお金が足りるかということ。どこのホテルでも両替をしてくれない。
円はまったくダメ。ドルもお金がないから換えられないという。
本当に銀行ですか、ここは。

今のお金で持ちこたえられるか不安だ。
ケンタッキーをでて、Mrx指示のホテルを探した。
タクシーに書いた紙を見せた。すぐに分かった。良かった。

こんなことは中国に来て初めて!うれしかった。

タクシーがメーターを倒したのでおかしいと思い、すぐに、いくらだと聞いた。
運ちゃんは5元だという。たぶん高いと思うが仕方ない。

後で解ったが、メーターを倒すと料金表示が出る仕掛けだった。
疑った俺が悪かった。

3分くらいでホテルに着いた。感じの良いホテルだ。

英語で、泊まりたいといった。
何をいっているの?と受付の女。
えー分からないの?ワタシ・トマリタイと言った。?という顔。

仕方ないので電子辞書を出し、
チエックインしたいのですが、という中国語を音声で出した。
ああ、泊まりたいのね?OK!と女。

だってここホテルでしょうと思ったが、話せない自分が悪いのであきらめる。

電子辞書が役に立った。電子辞書は、どこでも役に立たないと思っていた。
自分が言いたい言葉をすぐに探し出せないし、
言いたいことが入っていない場合が多い。
しかし、持ってきて良かった。その日から俺は電子辞書をかわいがった。

部屋に入った。とてもきれいだ。びっくり。
外の景色はだめ。他のビルの裏庭だ。石炭が積んである。
中国はまだ石炭を使っているのだ。

今日は完璧に疲れた。普通のバスで8時間なんとか我慢した。
毎日が我慢の連続だ。
我慢したり思うとおりにいかないと、少しでもうまくいったとき、
人の親切が身にしみる。

丹東はとても寒い。外を5分歩いていると凍えてくる。
銀行で両替をしようと思い外に出た。しかし、銀行までたどり着かない。

寒い!風を引くとこの後の旅に差し支えるのでどうしても慎重になってしまう。

コーラと落花生を買って部屋に戻る。
部屋で、スチーム式の暖房器具にさわる。暖かい。とても幸せな気分になる。
少しの暖かさ、人の親切が本当にありがたい

こういう事を素直にありがたいと思える。旅に出なければ味わえなかった。

心のある人なら、人に感謝する。親切をありがたいと思う。
困った人を助ける。普通にできる。
うちの子供はいつもやっている。お店でも、タクシーの運ちゃんにでも
常にありがとうございましたという。

しかし、俺はといえば・・・感謝する大切さは知っている。・・・つもりだ。
しかし、本当に感謝していたか。それをきちんと表現していたか。

お金のない人をバカにしていなかったか。昔は自分がそうだったのに。

お金がなくて惨めな思いは十分してきたのに、
自分にお金ができると人を見下す。傲慢になる。
金で解決する。そんな事を知らず知らずにしてきたかも知れない。

お金はありがたい。親切が本当にありがたい。この気持ちを忘れないでいたい。
しかし、
人は、お金ではなく、小さな親切や思う心がありがたいのだ。

そうは思うのだが、そう考える自分と、
女を抱きたい。うまいものを食いたい。海でリゾートしたい。
など、悪魔のように、快楽の妄想を考える自分がいる。

今日バスの中で、中国の人の気持ちを考えようと思った。
しかし、TVで中国人の漫才が大音響で流れる。
それを振り切り考えようと思うと、女とやった時の事を思いだし、
どうしてもそっちを考えてしまう。

あの女は良かった。帰ったら温泉に行きやるぞとか・・・
具体的にどこをせめてとか、
エロ小説をなぞるかのようにじっくりと場面を思い浮かべてしまう。
煩悩を払いきれない・・・

大連から丹東まで中国人を観察してみた。

中国人は、何を考えているのか。みなどうしてバスに乗っているのか。
丹東行きのバスに乗っていた人は、お正月で帰省する人達が多かった。

大連のような大都会から、50年前にタイムスリップしたような村に帰っていく。
おみやげを持ってどんな気持ちで帰るのか。
深刻な顔の人、楽しそうな人、様々だが普通の表情が多いかな。
みな、なにを考えているのだろう。

俺も昔帰省していたときもあった。
東京に学生できていて正月に帰る。お金がないので、特急の普通車。
指定席を買っていないので通路に座って帰った。
その時の事を思いだした。

帰るときの気持ちは、何となくやるせない気持ち。
田舎で友人に会える楽しさ。みたいな感だったと思う。
中国の人も同じなのかもしれない。

丹東の人達は、忙しくしている人、客引き、カップル、
旅行者など、雑多な人が多い。
客引きが常に話しかけてくるので閉口した。

タクシーもすぐに声をかけてくる。
どうしても騙されるのではないかという、中国人に対する先入観があるので、
臆病になり、よけいな話をしなくなってしまう。

妙に話しかけても変だし、
中国人を見ていると何をかんがえているか分からない。
同じように、日本人でも、何を考えているか分からない。

実際に自分が一番何を考えているか分からない。

自分が分からないのに他人が分かるわけがない。

お客の心理を知る。感情を理解する。
それを勉強し教えているはずなのに自分が一番分からない。

なぜ、色々仕事に手を出してしまうのか?
なぜ、社員は俺に着いてくるのか?
なぜ、俺を慕う人がいるのか?こんな俺なのに。
俺は、何をしたかったのか?
これからどうしたいのか?
何が欲しいのか?
何を仕事としたいのか?
誰と仕事したいのか?
本当に家族がいないでも生きていけるのか?
田舎で静かに暮らせないのか?
理想的な人生はどんな人生なのか?
具体的に旅から帰ったら何をしたいのか?
Xに依存していないか?
もっと全て棄て、荷物もパソコンも棄て、孤独になり旅を続けられないのか?
なぜ、カッコつけるのか?
なぜ、人に優しくできないのか?

・・・・・・・・・・・

どうしてもこれ以上の思考が進まない。考え方を変えてみる。

Mrxは中国人を観察しその感想を書けという。
しかし、中国人に興味がわかない。それを考えてどうなるのか。

人の心を理解しろということか。
人を観察するのはすごく良いことだと思う。

ガスリーもよく観察していた。そして、それを素直に歌にした。
それが人の心を打った。
ガスリーは、占い師か?といわれた。それほど観察眼が鋭かった。

観察する力が強いので、看板をうまく書けた。―コピーが上手だった。
店をみて売れるように看板を書く。

しかし、店の人は納得いかない。
黒く塗り白抜きの文字にしろと指示を出した。
ガスリーは赤で書いた。その方が遠くから目立つという。
最もだが店主はやり直しを命じた。ガスリーは、帰ってしまった。

一人の人間を観察すれば良かったか。
沢山の人を見ていたので、どの人も数秒しか見れない。
なので、理解しようがなかった。

中国人は、毎日生きていくのに一生懸命だ。
毎日コツコツ働いてもそんなにお金にはならない。
しかし、そのお金で家族が生活をしている。
子供が家族を養っている場合もある。

大連から乗った子供達は出稼ぎだろう。家族は、子供の稼ぎを待っている。
自分で働けば良いのだが働き口がない。子供に頼るしかない。
きれいな子供は体を売る。

彼女達は自分のために働いていない。
体を張って稼いだお金を家族に送る。自分の骨身や心をけずって稼ぐのだ。
そんなことをしているから、結婚はあきらめているといっていた。
学校にも行けない。きれいな女は体で稼ぐ。

頭が良く大学を出た女は日本に留学する。
日本で働く。しかし、給料は良くない。
Sさんという知り合いが大坂にいる。
美人で頭も良い。英語、中国語、日本語ができる。日本の製造業で働いている。
しかし給料は安い。安いが。十分に生活できる。
しかし、今の生活には満足していない。もっと自分の力を伸ばしたい。
もっと勉強したいという。そして、中国の両親を幸せにするという。

みな、自分の思いではなく、家族の思い、家族のために身を削って働いている。
そして、体が使えなくなったらどうなる。

丹東の人は子供だけに頼らないで、
自分たちも少しでも稼ごうと一生懸命働いている。
娯楽などほんの少ししかないだろう。楽をして生きている人は少ない。

俺はずいぶん楽をしていた。

しかし、それは、苦労して成功した見返りで良いのではないか。
いけないのか。楽しんではいけないのか。

質素に暮らさなければならないのか。
お金もちの生活をすればねたまれる。税務署にはお金を取られる。
良いことは一つもいわれない。稼げば稼ぐほど、みなにひどい事をいわれる。

妻は言う。お父さんのこと、みななんていっているか知っている?

俺は知らない。そういう声は聞かないようにしているからだ。
聞かなければいけないのか。俺は良いことをしてきたのではないのか。
自分の成功した方法を教えてきた。確かにお金はもらった。

当たり前の報酬ではないか。
俺のやっている事は間違いなのか。

人に教えない方が良かったのか。それは絶対にない。
少なくても、数人は本当に感謝してくれている。
それだけでも俺はうれしい。

貧しい生活をしてわかることもある。
心を改めて質素に生きるか。それができれば幸せか。
誰が幸せになるのか。家族は幸せだ。家族のために生きるか。

俺がわがままをやめれば良いだけの事だ。

旅を終えた後俺は何をしたいのか。
元の生活から何も変わらなければ何のための旅だったのか分からない。
少なくても、やらないと決めたことはある。それをやらないだけでも成長した。

しかし、もっと根底となるものを進化させたい。

Mrxの言葉はいつも心の深くにしみる。
なぜなのか。人の本質を突いているからか。
実体験が想像を超えたものだからか。書物から得た知識か。
その全てだと思う。

俺はそこまで、経験していないし勉強もしていない。
勉強も知識も表面的だ。もっと深く学びたい。

しかし、学んで何をするのか。これから何をするのか。
誰と暮らすのか。誰と一生を共にするのか。
自分の人生でやりたい事は何のか。

生きている意味を知ることはできるのだろうか・・・

考えていると、そんなこと全てどうでも良い。
今まで通り生きていても誰も困らないよ。
という声も聞こえる。

俺一人が変わろうが、変わるまいが世間はどうでも良い。
俺の変わる事を望んでいるのは家族だけなのか。

俺は、どうすれば良いのか・・・ああ、先に進まない。

このまま旅は終わるのかもしれない恐怖に落ち込んだ。






2009年5月15日金曜日

№11 ストレス

2008/12/26 中国大連

大連に着いた。

疲れた。と同時にまた何も分からない。ここからどうすればいいのか?
言葉が分からないというのは本当にストレスだ。

もう帰りたい。

しかし、1年間行ってくるといってしまった手前帰るわけにはいかない。
憂鬱だ。行く先々で気分が落ち込む。

仁川から大連に着くまでのいきさつを書く。

仁川のホテルを10時に出た。
駅前の食堂でラーメンを食べ、タクシーで第1ターミナルに向かう。
が、タクシーの運ちゃんにまた言葉が通じない。
ファースト、フェリーターミナル!というのだがまったく通じない。

看板を見ていると、バス乗り場の方に行こうとしたので、
あわてて車を止め、違うタクシーに道を聞いた。

すると、「おお、ファーストターミナル」大丈夫、この道だよという。
ファーストターミナルも、フアウストターミナウも同じに聞こえるが発音が違うようだ。

カタカナで書くと確かに違うな。

しかし、一つ一つの行動に躓く。

やっとターミナルに着いた。余裕を見て4時間前に来た
チョット余裕見過ぎだな。

出国場所には俺ともう一組しかいない。
おじさんが荷物を並べているので同じようにそこにおいた。
場所取りをしているのだ。

時間があるのでうろうろし、隅に隠れて腕立て伏せをやった。
別に隠れなくても良いのだが、少し恥ずかしい。

時間が経つにつれ、人がドンドンやってきた。
30分前になったら、待合室は満席になった。

係の人が出てきた。皆並び始めたので俺も並んだ。
係の人がなにやら切符を手に掲げ叫んでいる。なにを言っているのか?

悪い予感がした。

切符をよく見ると、他の人は俺と違う切符を持っている!

なんだ!やばい。俺の順番が来た。

案の定、俺の切符ではダメだ。切符売り場に行き買い直せという。
なんで・・・2番目に並んだのに。
後ろには数えたわけではないが、800人くらいいる。

泣きそうになりながら1回の切符売り場に行った。

これ、と見せると、整理券を持って並べという。冗談でしょう!
ああ、時間は過ぎていくのに・・・並んで待った。
整理券と切符を渡した。新しいチケットをくれた。
こんな事で、いちいち躓く。悔しい。すぐに列の所に戻った。

係の人が覚えてくれていて並ばなくても入れてくれた。ありがたい!
税関を通り船に乗った。
今回は「雑魚寝」というエコノミーだったが、
雑魚寝の部屋は家族が使っていた。俺はベットの部屋だった。

ベットが10くらいあるかな?2段ベット。
カーテンもついている。枕と毛布がある。

これから17時間かー、長いナーともいつつデッキに出た。
船は岸から離れ動き出していた。

この船に乗っているのは、中国人がほとんどのようにみえる。
韓国人も中国人も見分けがつかない。

みな、沢山の荷物を持っている。
同じような服を着て、同じようなバックを持っている。
何かの買い出しなのか。

フェリー代は日本円で9000円くらい。安いな。
とりあえず、腹ごしらえと思い、辛ラーメンを食べた。200円だ。
昨日からラーメンばかりを食べている。

他の食事を注文できない。

日記を書こうと思うのだが、船が揺れて書いていると気持ち悪くなる。
なので、寝ることにした。狭いベットだが、寝る時だけが安心できた。

17時間の船旅が終わり、大連に着いた。
あっという間だった。

ホールに出てみた。
みな、歯を磨いたり、洗濯物をたたんだり、荷物の整理をしたり
忙しそうにしている。

俺も少し急いだ。

船を下り、税関に向かう。
税関無事通れるか・・・また胃が痛くなった。
そわそわする。すると、税関員が俺をにらむ。さらにじっとして入れない、

ああ、税関員が近寄ってくる。逮捕されるのか?なにもしていないのに。
俺は、ただそわそわしていただけじゃないか。

税関員は、俺の前に落ちていたゴミを拾って片付けた。

税関を何事も無く通過。1階におりタクシーを探した。
しかし、探すまでもなく向こうから声をかけてきた。

お兄さん、どこ行く?タクシー、タクシーといっている。

Mrxにいわれたように国際青年旅舎と書いた紙を見せ、ここに行きたいという。
しかし、誰も分からない。10人くらいに声をかけたが分からない。

あーいつもこうだ。どうしてまともに事が運ばないのか?

どこかにはあるのだろうが、小さいバックパカー用のホテルなので分からないのか。

結局運ちゃんの一人が、俺が知っているということで乗せてもらった。
騙されるとまずいと思いタクシー代はいくらだと聞いた。

20元だという。(後で分かったがタクシー代は10元だった。)

倍取られたが、安いので気にならなかった。それではいけないな。
で、着いたところが中国青年旅舎だった。

国際と中国、違うなと思ったがとりあえず入った。

「Can I stay?」

こう話すと、
こいつは日本人だという顔をしてすぐに誰かを呼んだ。

ここは、普通の旅行社だった。
宿泊所ではなかった。


張さんという人が対応してくれた。
国際青年旅舎を探しているといったら、親切に探してくれたが分からない。

本当にわからないのかなー。中国人が知らないわけないでしょう。
じゃあ、なんでMrxはそこへ行けといったんだろうか?

後で調べてわかったが、青年旅舎とは、ユースホステルのことだった。

張さんは、あなたでは探すのは無理だ。今日はホテルに泊まろうといわれた。
心細いのでそうすることにした。結局今日もホテルだ。

どうしてもMrxのいうように動けない。無理かも知れないというあきらめばかり。
俺は根性なしだ。

張さんに、どうやってここに来たのと聞かれたので、
船で来たと言った。ええ?という顔をされた。
船で来る日本人は皆無らしい。

そういえば、フェリーでは日本人は俺一人だった。

とにかく一つ一つがうまくいかない。
何をやるにもどうしよう・・・と不安になる。
言葉ができない。臆病になり知っている英語も出てこない。
英語を話しても中国人は英語を話さない。(ホテルは別)

しかし、前に進むしかない。気楽な気持ちになれない。心臓が痛くなる。

旅の目的は分かっている。しかし、目標がわからない。

どこに行けばいいのか?

何をするのか?


先の分からない道程がこれほどストレスとは。
日本なら日本語が分かるので何の問題もない。何かあれば聞けばいい。
お金がなければすぐにおろせる。ストレスが無いのだ。

今回の旅は自分にストレスをかける旅なのか。

そうではないが今更ながらに自分は楽をして、良い国に住んでいたと思う。 
しかし、こういう苦労をして何になるのか。
Mrxは旅が全てを教えてくれるといった。その通りで色々な事を学べる。
考えることもできる。

考えをもっと深くしていけば、自分の原点にたどり着ける気がする

しかし、それでどうなるのか?いつも同じ考えに戻る

日本に帰ればまた快楽にひたってしまわないか、それが不安だ。

質素に生きる意味、お金の価値
少しだが感じることができた。
これで、もっと深く知っていったら、経験していったらどうなる。

どうせ元に戻るのに、こんな苦労をして何になるのか。
しかし、やってみればやるだけの価値はある。ジレンマを感じる。
常にジレンマだ。

仁川のフェリー乗り場では、
4時間も前に行ったのに、切符が新しくなったので交換してこいといわれる。
一抹の不安はあったが当たってしまった。

幸い係の人が親切で並び直さないで入れてくれたが、
あれで、また最後に並んでいたら、もう旅はあきらめていたと思う。

いつもはビジネスクラスで旅行をするので優先される。

それが優越感だった。

ビジネスクラスに乗るときは、少し悪いな、申し訳ないな、
という気持ちはあった。

しかし俺はビジネスクラスに乗った。
お金を持っている人間が優遇される。俺はそれを望んでいた。

特別扱いして欲しい。優遇してほしい。

それを望んでお金を手に入れたかったのだ。そして実現した。

特別な存在になりたかったのだ。

しかし、自分が外国でビジネスクラスに乗る人達を
横目でみて惨めに行列に並んでいる。
とても惨めな気持ちだ。

しかし、本当に惨めなのか。それを考えたほうがいいように思う。

特別な存在になるために沢山のお金が必要。そのために働く。
これでは本末転倒だ。

質素に生きる。ある程度の生活をする。
今の俺はとても質素には生きられそうもない。

質素に生きたからといって何か良いことがあるのだろうか。

良いことを求めるから何かをするわけではないが。
ガンジーのように生きたり、マザーテレサのように生きたりすることはできない。

1000回死んで生き返っても無理だ。どうすればいいのか?

船の中では1000人以上の人が乗船した。
普通に順番を並んで乗った。
雑魚寝ってどんな感じか?奴隷船の映画を思いだした。

しかし、それほどひどい感じではない。大部屋で20名ほどの人間が寝る。
ここか?!と思ったがその部屋は家族が入っていった。

俺は10個くらいの2段ベットのある部屋だった。
カーテンもついていて思ったよりいい。安心して荷物を置いた。

他の部屋を見に行った。
ほとんど中国人だが、それほど悲壮感はない。当たり前だ。

韓国に買い物に行って、大量に何かを買ってきた。
同部屋の人と話をしようと思ったが誰も話をしない。
みな、ベットに横になり、静かにしている。しかたなく俺もそうした。

横になり考えた。これから1年間本当にやっていけるか。
帰りたい気持ちばかりが強くなる。

今まで一人で生きてきたことが無かったので孤独はこたえる。

本当に寂しい。

なぜ俺は旅をしようと思ったのか。旅は本当に人間を変えるのか。
バックパックをする人間が大成功したという話を聞いたことがない。

もし、孤独の旅をしてそれが人生に何かをもたらすなら、
みなバックパックをやっているはずだ。
しかし、バックパックをして成功した人の話をきいた事がない。

Mrxはやっている。10代の時に経験している。
そして、俺にも一人旅を薦めた。

Mrxを信じているので、
自分がどこまで来出るか分からないがやってみようと思った。
しかし、甘かった。自分の力のなさ、情けない心に嫌気がさしている

税関では心臓が躍るし、タクシーに声をかけられると不安になる。
いう通りできないと目の前が真っ暗になりどうしよう・・・と焦る。

結局、安心なホテルにすぐに泊まってしまう。
もっと探して、暗くなっても何とか探してと思うのだが、
場所を聞いてもチンプンカンプンだし・・・怖いし。

不安ばかりが先に立ちまったく考えが前向きにならない。
俺はこんなに弱い人間だったのか

気分を変えて他のことを考える。

俺はなぜ起業したのか。

それは、勤めていた会社が倒産したからだ。

起業し工務店を作った。
倒産した前の会社のやりかけの仕事を受注することができたので、
順調な滑り出しだった。

絶対に失敗したくなかったので慎重にことを進めた。
こと、ビジネスに関してはとにかく俺は慎重だ。
人にはそう見えないかもしれないが、絶対に失敗したくない。

損が一番怖い。

俺は何をしたいと思ったのか。

とにかく工務店を順調に機能させ借金を返したいと思った。
社員も少しづつ増え、工務店経営はすこぶる順調だった。

会社を辞める時分に神田先生を知り面白い!と思った。
神田先生の教材を買いセミナーに参加した。

神田先生のようになりたいと思った。

それで、パートナーコンサルタントになり、
コンサルトして同じ道を進んでいった。

何をしたいというより神田先生の考えに共感し、
コンサルタントになり、同じようにお金を稼ぎたいと思ったのだ。

幸い、自分も工務店で成功しノウハウがあった。

コンサルでもある程度稼げるようになった。
深く考えていたわけではないが自分が成功し、
その成功した方法を伝えればお金儲けができると思った。

お金を稼いだ後なにをするかは考えていなかった。

実際、今になってもこれから先どうしたいのかよく分からない。
エルハウスは安定して稼いでいる。しかし、田舎には戻りたくない。

インプロビックは色々な形態に分かれてきた。
これをどう持って行ったらいいか迷っている。
今期はある程度行くと思うが将来どうしたいのか分からない。

インプロビックの行く末が一番迷っている。
軸となるビジネスで10年は続けられるビジネスを確立したい。

住宅経営はN社長に任せた。たぶん数億円のビジネスになる。

この旅が終わったら俺は何をすればいいのか。
それを考えるとまったく分からない。

今のままでもなにも問題ない。
エルハウスからインプロから住宅経営から子育て安心住宅から輝点から。
十分の報酬をもらえる。

俺の目標は年収日本一だった。
一人さんを抜きたいと思った。しかし、それもどうなのかよく考えたい。

俺は仕事である程度までは達成できる。
こと、建築に関しては思うようなビジネスができる。
住宅経営も1年目で2億。2年目で8億。
しかし、この後どうすればいい。

どうしても、20億、30億というビジネスにならない。
そのやり方が分からない。

今回の旅で、自分が後5年後10年で何をしたいのか。
何を残したいのか。何をやり遂げたいのか。それとも、なにもしたくないのか?

快楽をすて田舎に帰り、工務店の社長をやるか。

それでもかまわないと思うが、実際にやったとき我慢できるのか。

ガスリーのように、歌に生きる。他の芸人、芸術家のように、
お金ではなく一生をかけて行う何かがあればいいが、俺の場合はビジネスしかない。

しかし、色々なビジネスをやっていて集中していない
あれもこれをやってしまい、最後は収集がつかなくなる。何をすればいいのか。

俺はお金を稼ぐ快感を知ってしまった。

お金を棄てた生活もあるのかもと思い旅に出た。

しかし、自分はビジネスをしたいのだ。
早く引退し、何かをしたいわけではない。

俺はなにをすれば良いのかがわからないのだ。





2009年5月14日木曜日

№10 俺はなにをすればいいのだ

2008/12/23  韓国仁川 

仕事について考えてみる。

俺が生涯をかけてやっている仕事は自分をつくることだ

家をつくることでも素晴らしい成功教材をつくる事でもない。
自分という人間をどこまで高めることができるか。
最高の自分を作るために、知識を学び実践している。

―自分をつくる
こういう考えは福田先生に教わった。
福田先生とは、HIT訓練というトレーニング方法を教えている。

福田先生に出会うまでは、会社では家を作っている。
または、お客の幸せを作っていると考えていた。

しかし、結局は自分自信が学び日々成長しなければ
いい家を作ることはできない。
お客の満足する仕事もできないと思った。

自分をつくる。もっといえば、平秀信を作る。
この教えは本当に素晴らしい教えだと思う。
全ての基礎となる考え方だ。

しかし、実際にどうかといえば、
自分を高めるための努力をどこまでしているか分からない。

どっちかというと今の自分に満足している。
何かをやらせればそこそこできるし、
新しいアイデアを出せばそれなりに当たる。

結局現状に満足している自分がいけないということだ。
現状に満足すれば成長はない。

成長しなくなったら死んだも同じ。

俺の中での最も重要なマインドセットをどこかに忘れていた。―怠けていた。

自分をつくる。
この考え方は社員も知っている。
しかし、とても出来ているとは思えない。
世の中には良い教え教訓などは腐るほどある。

皆が知っている。しかし知っているというレベルなのだ。
本当に真の意味で、自分をつくる。
自分を成長させる意味を理解していないのだ。

そうでなければ、だれもが素晴らしい人間で、誰もが成功しているはずだ。

成功して、東京に出てきて遊びが加速した。
お付き合いという名目で誘いを断らない
断らないので俺がいつも呼ばれる。行き先はキャバクラだ。

それは楽しい。女はきれいだし、喜ばしてくれる。
しかし、行くこと自体に意味はない。ただ、楽しいだけだ。

楽しい事を自分だけがやっていた。

その間、社員やパートナーは一生懸命働いている。
仕事が順調に回っているから良いのではないか、
という甘えがどこかにあった。

それと、やめられなかった・・

支払いの時は俺が積極的に出した。
ほとんどクレジットカードなので後払いだ。気にならなかった。

俺はなぜカッコつけてしまうのだろうか

お金を出して喜んでいるのは自分だけだ。
出してもらった人はラッキー!程度にしか考えていない。

もしくは、平さんは金持ちなんだから遠慮する必要はない。

そう思っている人が大半だと思う。
どうしてもかっこつけてしまう。後で、むなしくなる。
このおごり癖をやめなければ。

俺の知っている人で、おごり癖のある人間で最後まで成功したはいない。
坂本龍馬も支払いは人に出させなかったというが、やはり、早死にした。

なぜか、ダメになる。

その時おごってあげた誰かが助けてくれた話は聞いたことがない。
自分はそれが分かっていても、人の目を気にしてかっこつけてしまうのか。

よく思われたい。

いい人に見られたい。

尊敬されたい。

そういう気持ちは誰もが持ち合わせていると思う。
人によく見られたい。その気持ちはどうして沸いてくるか。

これを無くしただけでもお金は残るし成長できる。
褒められるとうれしい。誰でもそうだ。俺だけではない。

自分が成功して、成功した方法を人に教える。
同じように成功してもらいたい。そう思っていた。

人は成功すると離れていく
心から離れているわけではないと思うが。俺の場合ではどうだろうか。

俺は成功という言葉にとらわれすぎていたのかも知れない。
何が俺に取っての成功なのだろうか。
普通で考えればすでに十分な成功をしているはずなのにまだ欲が出てしまう。

成功したときの将来の自分を思い浮かべて具体的に表現しよう、
というエクササイズをハワイでやった。
他のセミナーでもよくある。

答えは・・・誰もが同じようなことをいう。ほぼ100%

美人秘書をやとい社長室でやる。
ヨットを浮かべ、モデルと戯れる。
シャンパンを飲みながら・・・などだ。

誰もが、一様に同じような夢・・・妄想を描く。

自分もその一人だった。

これは、夢ではなく、妄想なのだ。

実際に成功してもそんなことをしている人の話は聞かない。
普段通り地味な生活をして、少しばかり自分ご褒美をやる。

そもそも、だれも思い描いていた成功を得ていない。

俺は成功して欲しいものを全て手に入れた。
家、車、現金、マンション、投資用マンション、マカオファンド、
IPO(株)、時計、服、靴、旅行、飲み食い、
顧問弁護士・・・ほぼ世間一般でほしがるものは全て買った。

その結果にあぐらをかいていた。慢心していたのだ。

自分ではそう思っていなかったが、間違いなく慢心していた。
謙虚な気持ちを失っていた。うすうす気がついていたが、認めたくなかった
頭では理解していたのだ。

もう、ものをほしがるのはやめよう。かっこつけても仕方がない。
誰も見ていない。バカにされるだけだ。
本当にかっこいい人は、金でも、服装でもない。

心からかっこいい。生き方がかっこ良いのだ。

そうなろう。
Gパンでも安い服を着ていても尊敬される。
生き方を尊敬される存在になる。

俺を見て、皆が同じように自分が誇れる生き方をしてくれたら、
それだけでも生きてきた甲斐がある。

2008/12/24 韓国仁川 2

大連に行くフェリーの切符が取れないで、2日間を仁川で過ごした。
少しゆっくりできた。

と言うか、ゆっくりできなかった方が良かった。
どうせ旅をしているのだから、どんどん進んでいきたい。
しかし、思うようにならない。ジレンマの毎日だ。

普段はほとんどのことが思うようになる。
何かやろうと思っても、社員に頼めばやってくれる。

自分で苦労することがない。

しいて苦労することといえば会社をどうするか、
次の集客は?
今行っているプロジエクトをどうやって成功させるか?
そのような事くらいだ。

ふと思った。
バックパックの旅をしているが、今回の旅の目的は自分をみつめる。
抱えている問題の解決の糸口を探す。新しい自分を発見する。
など、いろいろ考えてみたのだが、実際行ってみるとどうも違う。

Mrxはなぜ旅に出れば全てが解決するといったのだろうか。

孤独の旅が平さんに色々な事を教えてくれるでしょう。
信心共にリラックスし、充電し、自分の原点を探してくださいという事だった。

確かに自分の原点はどこにあるのかそれを探したい。
しかし、探したからといってそれでどうなるのか。

今、一番の不安は自分が変わってしまったらどうしよう・・ということなのだ。

つまり、東京の会社をやめ、田舎に帰り、
妻と家族そして社員と昔に戻り商売をする。
女もやめる。そういう生活を自分で決めてしまうのが怖い。

質素で謙虚な生き方。普通の生活を普通の人のように喜ぶ感覚。
人間としての原点をみつけ、その生き方を選ぶ自分が怖い。

たとえ、その人生を選んでも何もおきないだろう。
少しだけ抵抗はあるかも知れないがすぐに収まる。
すぐに忘れ去られる。世間はそんなものだ。

俺自身はそれで納得するのだろうか。―永遠に。

自分はどうして起業したのだろう。
どうして頑張ったのだろうか。
非難されようと、強欲と言われようと、なぜ、売り続けたのか。
何を求めていたのか。どうも分からない。

俺が求めているものはなんだったのか

お金、自由、女、快楽、尊敬、羨望、ほめられる、認められる権力、
年収日本一、名声。
ビジネスマンとしては、目標を掲げそれを達成しなければならない。
そして、利益を出し税金を払う。これが役割だと思う。

しかし、Mrxにはこういう考えはない。
しかし、ボランティア、寄付その他は十分にしている。

俺たちの行っている社会貢献は、本当の意味で貢献しているか分からない。
ムダなお金かも知れない。
稼げば稼ぐほど怒られ、疑られ、税務署に目を付けられ、税金を取られる。
罰せられているかのようだ。
取られるのは良いのだが、褒められないのが納得いかない。

貧乏なときには、金持ちから税金を取ればいいと思っていた。

どうして、俺たち貧乏人からから取るの?
そう思っていた。

しかし、自分が金持ちになったとたんその考えは変わる。
なぜ、働かない人達を税金で食べさせるのか。
ニートを働かせろ。
企業は努力してもうけて税金を払えと思う。

どうして、成功するとねたまれ、さげすまれ、金まで取られるのか。

少しばかり、女と遊んで何が悪いのかという気持ちになる。

しかし、それは自分の勝手な考えで、
お金のない人、稼げない会社にも言い分はある。

話は変わるが昨日の夜、ウディ・ガスリーの映画を見た。

映画の最初に出てくる言葉が、Don’t let nothing get you plimb down・・・。
意味は、「何があろうとへこたれるな」だ。今の自分にぴったりだ。

ガスリーは、アメリカの吟遊詩人と言われたフォークソングの父だ。
抵抗ソング、メッセージソングなどを旅をしながら歌った。

放浪が好きで、お金も持たないで出かけていく。
最初の旅はカルフォルニアまでのすごい道程だった。

彼はへこたれない。

思いつく言葉を歌にしていった。
いつしか認められ、ニューヨークへ渡った。
そこで、ボブディランなどに崇拝されていく。

最後は、13年間も闘病生活をして死んでいった。

最初の妻は、カルフォルニアでガスリーの放浪癖に我慢できずに出て行った。
ガスリーは、家庭を選ばずに自分の歌を取った。

へこたれない。この気持ちを忘れないで旅を続けたい。

ガスリーは、自分のやるべき事が分かっていた。
はじめはそうでなかった。はじめは看板書きだ。歌は趣味で歌っていた。

カルフォルニアに行き、綿畑で安月給で働く人達をみてその現状を歌にした。
淡々と現状を歌詞にしていった。
フォークというジャンルはへんに盛り上がりもしないで詩をきかせる。
メッセージ性のある歌だ。

ガスリーと一緒にやっていた友人はマネージーアーが付きメジャーになった。
しかし、ガスリーはうまい話をすべて断った。

お金ではなく自分の主義を貫いた

そして歴史に刻まれる歌手となった。
彼は幸せだったのか?
晩年は13年も闘病生活をしている。その時、誰が見てくれたのか。

自分も死ぬときは誰と一緒にいたいのか考えた。
一人では死にたくない。
誰かにそばにいて、幸せな人生だったとほほえんで死にたい。

しかし、それができるか。今の俺に。
好き勝手にやっている俺にそれができるのか。

あまい。できない。
仮に、今後まじめに生き妻と暮らし普通の生活をしていくとする。
自分たちはいい。それで満足するだろう。

しかし、何かを残すことができるのか。
今50才だ。働いても、後10年。そこまでは働かない。

55才だ。後5年。
後5年でやるべき事をやり、後を次ぐものをつくり、・・・その後何をする。
俺はなにをするべきか?

俺はなにをすればいいのだ。





次の旅立ちの日が決まりました。

6月12日、孤独の旅第2ステージに出かけます。

その前に、この4ヶ月間で私が考えたすべて、
そして、手にした「コア」をお伝えします。

しかし、私のコアは私のものであり、あなたのコアではありません。

人間が60億いれば、60億のコアが存在します。
私は孤独の旅でそのことを知りました。

しかし、少しでも私を目標としている人にとって、
または、反面教師としている人にとって、私がつかんだコアは、確実に役に立つと思います。

そして、それ以上に、どうやってコアに行き着いたのか
そのことの方が重要です。

孤独の旅とは、いい換えれば、行動するブレインダンプみたいなものです。

自分との対話です。
ひたすら自分に問いかけ、自分から答えをもらいます。

しかし、答えをもらえないときがあります。
不思議なことにその時は、

バスから、列車から、同乗者から、果物から、ゴミから、雲から、
雨から、子供から、空気から、臭いから・・・答えが降ってきます。

簡単ではないかもしれません。
時間が掛かるかもしれません。
しかし、答えは確実に手に入ります。

もし、あなたの求める答えを得ることができなかったら、
それは、今は時期ではないということです。

私は50才になって、初めて本気で自分と向き合いました。
幼少期から、現在まで50年間を1日、1日とふり返って行きました。

そして、原点を、コアをつかんだのです。

もしかしたら、つかんだ。そう思っているだけかもしれません。

それを確かめるために、今、進化の法則に従い生活をしています。
そして、6月12日、次の課題に取り組むため旅立ちます。
どこに行くのか、なにをするのかわかりません。

ただ、旅に出るのです

そこで、残された日は多くありません。
私は、この間であなたの背中を少しでも押したい

もし、あなたに悩みや、問題や、超えられない壁があったら
少しでも取り除いてあげたい。

ヒントにしかならないかもしれません。
しかし、それができれば私は嬉しいです。

条件があります。

長々と書かれても、あまりに数が多いのでこなしきれません。
1日48時間あっても返せません。

進化の法則で、どうしても1日8時間寝なければなりません。
なので、時間が限られているのです。

で、twitter のダイレクトメッセージで送って下さい。
字数が制限させますので、要点を絞って書く訓練にもなります。

twitterのやり方がわからない方は、分かる人に聞いて下さい。

それではお待ちしています。

2009年5月13日水曜日

№9 心のしこり

2008/12/22 韓国ソウル

深夜、Mrxから指示が来た。

釜山から最も安い電車でソウルまで行き、
ソウルから地下鉄に乗って、kim’s gesut house まで行け、だ。


たったこれだけ。他には?そこになにがあるの?!
意味を教えてよ、意味を。

くそーまた電車か・・・しかも地下鉄。

無理だ。

まあ、タクシーで行ってもMrx分からないから良いか・・・
そんな軽い気持ちでホテルを出た。

釜山駅に着いたがどうやって電車に乗るのか分からない。
韓国語は何が何だかわからない。

Mrxの課題追伸が、

観光案内所を探して、一番きれいなお姉さんに行き方を聞け。
という指示だったので、聞こうとしたが無理。

きれいなお姉さんがいない。いても言葉もわからない。地図もない。
結局、男の人に声をかけた。

「do you speek japanees?」
すると隣の女性が「こっちに来い」と日本語で声をかけてきた。
はじめからこのお姉さんにすれば良かった・・・

お姉さんは、親切に切符の買い方を教えてくれた。すぐに分かった。
切符売りのお姉さんは英語で説明してくれた。
俺は受け答えした。

といっても、俺の英語はまったくダメでなかなか通じない。
あー英語くらい満足に話したい・・・話せないと恥ずかしい。

恥ずかしい、焦るか、困る・・この言葉だけの連続だ。

俺は韓国の新幹線といわれている電車に乗った。快適だ。社内もきれい。

3時間ほどでソウル駅に着いた。
さあ、地下鉄を探そうと思ったがやっぱり無理。
何が何だか分からない。

やっぱ、観光案内に聞こうと思い、探した。

その前に腹ごしらえ。
韓国料理を食べたいと思ったが、韓国料理店は韓国語しか話せないと思い、
バーガーキングに入った。

チーズバーガーを頼みたかった。コーヒーセットで。
しかし、どうしても通じない。店の子はいらいら。

いらいらするのは俺の方だ。

仕方がない普通のハンバーガーを頼んだ。コーラとポテト付き。
結局、メニューの番号を指さし頼むしかなかった。
むなしい。些細なことで恥かしく落ち込む

食事を終え観光案内所に行った。

パソコン上の地図を見せ、ここに行きたい指示した。

日本語で答えてくれたが、いわれても分からないので書いてもらった。
切符売り場でその紙を見せながら切符を買った。

行き先まで地下鉄の乗り換えがあった。

乗り換え?!むり。絶対に無理。

しかし、案内所のお姉さんが、紙に書いてくれてあったのを思いだし、
若いカップルに紙を見せた。方向が一緒だったというので同乗した。

乗り換え駅を間違えてはいけないので、指でおって駅を勘定していた。
周りの人は、このおじさんバカかもしれないと思ったに違いない。

目的の駅に無事ついた。嬉しい!こんな些細なことで達成感がある。

駅の8番出口を出た。
しかし、やっぱりそこからどう行って良いか分からない。

掟を破りタクシーに乗ろうか迷ったが、まだ夕方3時前だったので、
1時間ほど探してみようと歩き出した。

パソコンに地図があったので、それを見ながら歩いた。
地図通りに着いた。
途中とても寒かった。マイナス10度くらいか。
もし、たどり着かなければ寒さで死ぬなと思った。

気がついたら、パソコンと指が凍り付いていた。

ゲストハウスに着いたのは良いが誰もいない。

困ったなー。

そこに外人が2階から降りてきた。
「ソーリー、どうすれば良いですか?」と日本語で聞いた。

大柄な外人はそこに電話しろと札を指さした。
俺は卑屈な感じでOKといい電話した。

なぜか俺は白人の前で卑屈になる。

電話には日本語のできる韓国人が出た。
今から行くので待っていろという。5分ほどで韓国の男がやって来た。

英語で話しかけてくる。うまいなー
適当な英語を話していると、おまえ、英語もできないのか?
と冷めた目で見られたような気がした。

個室で良いかと聞くので、ドミトリーの男女と答えた。
それはあいていない。個室しかない。という。

Xの指示はドミトリーに泊まることだったので食い下がった。
ないものはないといわれあきらめた。

個室はきれいだった。
6畳ほどの部屋で、リネン関係を渡され、鍵の説明を受けた。
居間みたいなところがあり、その周りに3室ほどある。
誰か夜出てきたら話をしてみよう。

とりあえず、夜出歩くと危ないと思い夕食の買い出しに出かけた。
鯛焼きの屋台があった。俺の大好物

2つちょうだい!といった。

8個きた。

2つで良いというのに、これで2つだ!と強く言われた。
意味が分からないが、言い返せないので、納得しお金を払った。
140円くらいなので妥協した。

鯛焼きは日本のものとは違う。
日本のまずい鯛焼きという感じ。粉がおおく、あんこが好くない。

俺はあんこが大好物なのに頭にきた

しかし、ぺろっと平らげた。
そして、近くにあったパン屋に入った。

結局今日もパンだ。韓国に来てパンしか食べていない。
他の食べ物の注文の仕方がわからないのだ。

3種類ほど選んで会計した。飲み物も買った。
店の女の子が、もうすぐクリスマスですね。
みたいなことを話かけてきた(と思う)

私が、意味のない笑いを浮かべそうですね、
といったら、女の子は、あら、韓国の人じゃないの?と言う顔をしてはにかんでいた。
俺は海外に行くとどこでも韓国人に間違われる。韓国系の顔なのだ。

トラウマ

なぜか、ふと思い出したトラウマという言葉。
誰もが自分自身のトラウマを持ち、心の障害になっている。

トラウマを考えてみた。

俺にも何か心にしこりがあるのか

もし、あるとしたら母親の事しかない。

母は俺たち兄弟を一生懸命育ててくれた。とても感謝している。
と同時に、どうしても何か引っかかる。

何が引っかかるのか。

結局のところ、母が面倒をみてもらっていた事が引っかかるのだ。
それ以外には思いつかない。

小さい頃から、母にバカ呼ばわりされていたことや、
いつもたたかれていたが、それは自分が悪いと思っていたし、
特にうらみに思っていない。

俺が小学校4年生の時、父が蒸発した。

その頃から、社長が家に来るようになった。
なぜ来るのか分からなかった。

しかし、お小遣いはくれるし、親切だし思いやりもある。
俺たち家族を大切にしてくれているのがよく分かった。

だから嫌いではなかった。

しかし、どうして来るのかなと思っていた。

中学に入り、大人になり、母と社長の事は普通の関係ではないことはわかってきた。
しかし、男と女の関係はないと思っていた。そう信じていた。
そういうそぶりがなかったのだ。

大人になるに従い、社長の存在、母との関係がなんとなく恥ずかしく、
隠しておきたいものになってきた。

来なければいいのに・・・そう思う事もあった。

しかし、実際問題、社長がいなければ、家族は生きていけない。

学校にも行けない。
母は働いてはいたが、旅館なのでたいした給料にならない。
社長に頼るのは仕方なかった。

しかし、その一方で、母子家庭は他にもいる。
他のお母さんはそんなことしていないのではないか。
自分が頑張って家族を食べさせているのではないか、そういう思いもあった。

結局、悶々とした考えは常に堂々巡り
兄が、何も考えていないのもへんに思えた。

兄は、社長のロボットのような存在で、とにかくいいなり。
社長の言うことを全て聞き、社長のいうように動いた。

尊敬もしていたし、好きだったと思う。
なにより感謝していたのだ。逆らうなどもってのほかだった。

会社が倒産するときになって、母は棄てられた。
他に女ができ、社長はそちらを選んだ。 

母は身を引いた。もらっていた家を返した。

社長は喜んだ。その家を売って借金を返済に当てた。

母は汚い長屋に引っ越した。母の面倒は、妻が見ていた。
母は別れるとき、社長にもらったものを全て棄てた。
写真の目に針を刺してうらんだ。

そのうち、母が鬱病になった。
一人でアパートにいることに耐えられなくなったのだ。

誰とも話さない生活が続き、隣の住人に、お金を貸し逃げられた。

母は人が良いのですぐにお金を貸してしまう。
そして裏切られる。それでも貸してしまう。

結局、アパートを引き払い、老人ホームに入ることになった。

妻が決めたのだ。俺はさすがに、老人ホームはまずいと思った
しかし、妻は介護のプロ、その方がお母さんのためになるという。

その言葉を信じ老人ホームに入れた。

すると、母のうつは次第に直っていった。
人と話をする機会が増えストレスや寂しさがなくなってきたのだ。

母は元気になった。

2008/12/23 ソウル2

朝早くMrxから指示がきた。メールの課題はこうだ。

「朝早く起きて電車かバスで仁川へ向かえ。そこから、フェリー乗り場に行き、大連に渡れ。
渡ったら青年旅舎にタクシーで行け。船は一番安い等級の雑魚寝で行け。」


こんな命令調の言い方ではないが、俺にはそう取れてしまう。
メールが来る度に気持ちが萎えていた。

ゲストハウスを出ると外は一面雪だった。

うっすら積もっている。さぶい!凍える!
北海道の知床よりも寒い。

通勤に向かう人、小学生などが歩いていた。

俺は焦った。

地下鉄は昨日乗ったから乗り方はある程度分かってきた。
しかし、バスは乗ったことがない。

ゲストハウスに地球の歩き方があるのを見つけたので調べに行った。

外人がいた。半袖だ。なぜ、外人(アメリカ人)はいつも半袖なのか。
愛想もない。
俺が下を向いて恥ずかしそうにハローと言ったのがいけないのか。

バスの乗り方を調べたが分からない。
ここに行って、こう乗れみたいに書いてあるが、
実際に行くと韓国語なのでちんぷんかんぷん。

結局、少し慣れた地下鉄を選んでしまった。

仁川までというと、1500ヲンだった。安い!
行き方はすぐに分かった。1番線だ。乗り込んだ。混んでいた。
立ったままでいた。ある程度電車は走った。

乗る前に行き先を間違えてはいけないので、2人に聞いた。
本当にこれで良いの?大丈夫?ねえ、本当に本当!みたいな聴き方を日本語でした。

二人共これで良いこれで間違いないというので信じて乗りこんだ。

1番線は1本で仁川に行くように見えた。
仁川は最終地点なので、安心していた。

50分ほどたった。おかしい。ドンドン田舎に行く。胸騒ぎがした。

1時間たった。電車が止まった。場所を見ると、仁川ではなかった。

あせった。どうなっているんだ!

電車地図を見た。外で見ていたのでとても寒い。足ががたがたいう。
今日は雪が降っていた。ふるえながら路線を確認した。

なんと!途中で線路が二股に分かれている!がーん!

俺が乗ったのは切り替え地点で天安にいく路線だった。

どうやって帰れば良いのか近くのガキに聞いた。
来た線で帰れという。電車を待って乗り込んだ。今度はよく見て帰った。

切り替え地点を見逃さないように地図の前にづっと立っていた。
一つづつ駅を確認した。

切り替え地点で降りた。
降りたはいいが、今度はどの線か分からない。
仁川という字を探したがない。東仁川があった。

これでいいのかなーとりあえずそのホームに行った。
お年寄りがいたので聞いた。

これでいい、これでいい。何度も念を押し教えてくれた。
俺が乗り込むまで心配して見ていてくれた。

韓国人は本当に優しい。
しかし、乗り込んでもにわかに信じられなかった。

今度は、駅を止まらないで飛ばして行く!
どうしたんだ!

すぐにこの電車が急行だと分かった。一安心。
東仁川で止まった。鈍行に乗り換え仁川に着いた。

降りたはいいが、フェリー乗り場が分からない。

聞こうと思って2,3人に訪ねた。ダメだ!全員中国人だ。

30分ほど色々回ったが分からない。焦って、弱り果てた。
仕方なく、友人にメールを打ち調べてもらった。
落ち着いて考えれば分かるのだが、どうしても不安になり焦ってしまう。

第1国際旅客ターミナルに行けば良いことが分かった。
こんな事くらい事前に調べなければダメだ・・・

タクシーに第1フェリーといった。が、通じない。

№1!通じた。

運ちゃんは、ファースト?セカンド?と聞いてきた。
焦っていたので、ファーストフードに聞こえてしまったのだ。

ファースト!ファースト!と叫んだ。
ターミナルに着いた。
今度は切符売り場が分からない。中国人だらけだ。気が滅入ってきた。

中国人はうるさくて、ならんでいても割り込んでくるし・・・

仁川ー大連という札を見つけそこに並んだ。今日の切符をくれと言った。

今日はソールドアウトだという。
キャンセル待ちは?と言ってたら、後ろの中国人が早くしろみたいな事をいい、
横に来て割り込もうとする。

俺は気が弱いので、切符きりの女性にネクスト?といい15日発を予約した。

Mrxの指示でエコノミーを買った。150000ヲン。
一安心して、コーヒーを飲んだ。まずい。甘い。

昼にまたハンバーグを食べた。
3日間ハンバーグとパンしか食べていない。
持ってきた青汁の粒を飲んだ。持ってきて良かった!
栄養失調で、肌が荒れていた。
もしかしたら、栄養失調ではなく体を洗っていないので垢かもしれなかった。

安いホテルを案内所で聞いた。日本語の分かるお姉さんが対応してくれた。
タクシーを探した。
観光タクシーの運ちゃんが、乗れという、いくら?と聞くと10000という。

高いなーと思いちょうど来たタクシーに乗った。ホテルまで6100だった。

そして、ホテルに着き洗濯をする。
洗濯が楽しくなってきた。

洗濯だけが唯一の楽しみだ

出発してから今日まで同じ服、同じパンツをはいている。
これだけでも成長した。しかし、今日はムダな金を使ってしまった。節約しなければ。

Mrxから体力を落とさないように指示が来た。
この日からサーキットトレーニングを行う。

Mrxは肉体を鍛えるのが大好きだ。

好きというレベルを超え、変態の域に入っている。

付き合わされる俺たちはかなわない。
しかし、マスターなので逆らうわけにはいかない。


「やりたくないんですけど・・・」
「それはかまいません、やるかやらないかは平さんの自由です」


そう言われたら、やらないわけにはいかない。
今見捨てられたら、なにをどうしていいかわからない。

日本へ帰るわけにもいかない。
沖縄当たりで1年間隠れていようか・・・何度もそう思った。

今サーキットトレーニングを終えた。苦しい。
普通のジムでの運動はそうでもないが、
短時間でいくつかの運動を行うサーキットTは本当に苦しい。

心拍数が上がるのがわかる

旅に出ると決めた3ヶ月前から2.5ヶ月ほどジムに通って体を鍛えた。
体重も10キロ減った。ゴルフもうまくなった。
腹筋は割れ、胸板もついてきた。

ボクシングも始めた。といっても、4回ほどで行かなくなった。

旅に出る前の仕事に追われ行かなくなってしまった。
ボクシングはとても良かった。黙々と、ひたすら、トレーニングする。
来ている若者の全てがチャンピオンを目指していた。

おじさん何しに来ているの?そんな目で見られた。

ひたすら夢を追う。しかし、夢は叶わない。
仮にかなったとしてもその後の生活の方が長く。
チャンピオンになっても生活は苦しい。それが分かっていても皆頑張る。

チャンピオンになれない人間が99%。

それでも、夢を信じ自分を信じ訓練を重ねる。
すぐに、限界を知る。ジムに来なくなる。楽なアルバイトや、ナンパに逃げる。
逃げないまでも普通にフリーターになる。

俺はそこまで真剣にボクシングを行っていないので、
いろいろいう資格はない。

サーキットTを行うと脱力感に見舞われる。何もしたくない。

腕が重い。呼吸が苦しい。
なにも考えたくなくなる。

しかし、少し時間をおくと自分の体が力強くなった感じを覚える。
充実感がある。これは何なのか。

ジムに通っているときは、追い詰めてやるという感じではなく、
かっこよくなりたいからやっていた。
ゴルフもかっこよくなりたいから。
ボクシングも。

俺が体を鍛え始めてから、妻はまた冷たい目で見始めた。

昔のぽっちゃりしたお父さんが良かった・・・という。

今の鍛えた体はかっこよくない。いったいその体を誰に見せたいの?

そうなのだ、体を鍛え、女に見せたいのだ。

鍛える理由はそれしかない。筋骨隆々とし、胸板を誇示し、腹筋のわれを見せる。
かっこいいー、素敵ーと言われたい。それだけのために鍛えていたのだ。

動機は不純だった。

だから、その動機はすぐに妻には分かった。
たぶん他の人達もそう思っただろう。しかし、それはいけないことか。

動機が不純でも結果的に体が鍛えられれば気力もよみがえる。

女性にもてればやる気も出る。どこがいけないのか。

女にもてたいという感情がおれのすべてをダメにしているのだろうか・・・

人から尊敬されたい。よく思われたい。先生からほめられたい。

大卒の人間を見返してやりたい。

ものすごく強い感情でそう思っている訳ではないと思う。
しかし、根底にはその気持ちがある。

少しでもバカにされると、かーっと頭が熱くなる。

友人や、社員をけなされるとむかつく。
本をけなされても、教材を批判されても頭に来る。

この感情をどうやって抑えればいいのか。

仕事も棄てて、社員も友人も棄て、田舎に帰り細々、工務店を行う。
職人とビールを飲み、馬鹿話をして、ゴルフに行く。

社員旅行で、職員の口を聞く。クレームを受け頭を下げに行く。
どんな家を建てれば売れるか考える。図面を引く。会議を行う。
ニュースレターを書く。チラシを作る。妻毎日過ごす。

毎日何があったのかを語り合う。ドライブに行く。ファミレスでお昼を食べる。
車を磨く。ゴルフの練習をする。たまに東京に遊びに行く。
映画をみる。本屋に行く。ギターを弾く。英会話を学ぶ。支店を出すことを考える。

10億円くらいのビジネスで年収5千万円。
この収入で普通の社長のやりたい事は全部できる。

普通の社長の理想以上の生活だ。

それで、なぜ満足できないのか。このような生活を送ればそれで良いのではないか。

年収2千万円でも、(1千万円ではみっともない)十分な暮らしができる。どうしてそれではいけないのか。妻はその生活を望んでいる。

Xは年収200万の生活をして、早く理想の引退生活を送る方法を教えてくれた。

まったくその通りで素晴らしレポートだ。
贅沢をしてムダなお金を使いっている自分に気がついた。

昔から気がついていたが、
レポートを読んで、毎日のお金を付けていれば、自分がどんなにムダをしているか。

そのお金を有効に使ったら、どんなに素晴らしいことができるか。

書くまでもない。考えるまでもない。
しかし、欲望が先に立ってしまう。自分の快楽を求めてしまう
ここを何とかしなければならない。

旅から帰り現実に戻れば、今の考えは全て変わってしまうかも、
その不安がある。元に戻り、元の生活をしたらなんのための旅か分からない。

そのくらいなら旅に出ないで、働いていた方が会社や社会のためになる。

自分の存在価値をもっと深く考えたいが、考えたくない気持ちも強い。

どうせ、帰ったらおしまい。また遊んでしまう。それが怖い。

今、少しずつ考えが変わってきている。
無理矢理変えようとしている自分もいる。

自分が変われば、妻や家族、無駄遣いをしなければ、会社のためにもなる。
節約すればお金も貯まる。どうすればいいのか?

今日ホテルに入ったらとても寒かった。
ふるえた。暖房を入れた。カーテンを開けたら、日の光が入ってきた。

暖かい!太陽の暖かさをありがたく感じた。
これから、旅を続ければ、もっと色々な気づきがあると思う。
過酷になればなるほど、一人の時間が長ければ長くなるほど些細なことにありがたさを感じ、
感謝すると思う。

それが怖い。そうなりたくない。

なぜか分からないが、いい人間になりたくない。
自由になにもできなくなる。何でも我慢し、いい人にならなければならない。

それはいやだ。

女性とも遊びたい。

もっと激しいsexもしたい。

会社も大きくしたい。100億稼ぎたい。死ぬときにそれを寄付したい。

海外で仕事もしたい。ベトナムでコーヒー屋をやりたい。
長期滞在ビジネスをやりたい。激しいマーケティングで日本をびっくりさせたい。

銀座で遊ぶ欲望は失せた。

しかし、その他の欲を棄てきれない。まだ、一つしか欲を棄てられない。

結局、本人が死ぬときに良かったと思えるかどうかなのだと思う。

いや、本当にそうだろうか?

きれいに死ぬ必要はあるのか?また、きれいに死ねるかどうかなんて誰にもわからない。
いつ死ぬかもわからないのに。

人間はいつが幸せか分からない。

俺の場合は、50年生きてきて、いつが一番幸せで、
いつが不幸せだったのか考えてみたい。


一番つらかったのは、小学校、中学校の頃だと思う。
住むところは長屋を転々としていた。引っ越しは、いつもリアカーで引っ越しをした。

一番ひどかったのは、4畳くらいの屋根裏に住んでいたときだ。

ネズミが屋根裏をはい回る音、ネズミの糞が寝ている顔に落ちてくる。
ミカン箱での勉強。友達にどこに住んでいるかも言えない。
暗かった。

元気と負けん気は強かった。しかし、惨めな気持ちだった。
住んでいるところを言えない。

バカにされる。当時、長屋に暮らしているのは、俺と、もう一人くらいだった。

生活保護を受け、奨学金をもらい学校に行っていた。
勉強もまったくできなかった。いつもビリから3番だった。

中学に入り先生が替わり少しまともになった。
勉強もできるようになり、スポーツが俄然強くなった。女にももてた。

しかし、長屋暮らしは変わらない。友達も呼べない。
このときのしこりが今でも残っている。夢でも見る。

人の幸せと自分の求める幸せが違う。

どっちを優先したらいいのか?

人のために生きるか。

自分のために生きるか。

そのために、家族の理解をえられなくてもかまわないのか。

家族の生活は歯車が狂ったようになる。どうなるか分からない。

子供達の尊敬は無くし、財産も全部すて、妻も、心を失った廃人になる。
それでも、自分は、自分の好きな道を進んで良いのか?

どう考えても良いわけがない。

まともな人間なら考えるまでもない。

妻と家族をとれば、問題はそこで終わるのだ。


しかし、できない。









50agelife@improbic.com  give me your message

偶然と出会いそして行動

今私はマレーシアのクアラルンプール(KL)にいます。

孤独の旅の第1ステージを終え、静かに暮らしています

なぜKLを選んだのか?
なのですが、

マレーシアは物価が安く、治安がとても良いです。
それにマレー人は親日的です。すごく親しみを覚えます。

それが第2の理由です。

第1の理由は、

旅も1ヶ月を過ぎた頃です、

当時私は、Mrxの課題に耐えられなくてMrxと決別していました。

そして、思うまま当てのない旅を続けているとき、
無性にコーヒーを飲みたくなりました。

しかし、お金をできる限り使わない旅をしていましたので、
コーヒーを飲むことさえ躊躇していました。

KLのブッキビンタンという町を歩いているとき、
一軒のコーヒーショップがありました。

何かの力で引き寄せられ、そのお店に入っていきました。

入った瞬間に空気が違います。

何だろう?

この静けさはなんだろう?

私の他に人が誰もいない、
それもありましたが、不思議な静けさでした。

私はコーヒーを頼みました。一口飲むと・・・

うまい!

本当においしいコーヒーです。
私は小説家ではありませんのでうまく表現できませんが、

酸味と苦みがほどよく混じり合った絶妙のバランスです。

そのコーヒーを飲みながら、店内を見回すと1冊の本に目に止まりました。

一頁目を開いたとき、私の目に飛び込んできたものは、

私の得たい答え、孤独の旅で求めていた答えでした。

いえ、答えかどうかはわかりません。

しかし、私が忘れていた、私が成功した唯一の理由が書かれていたのです

それから1週間、このコーヒーショップに通い続けました。

朝10時の開店と同時にお店に入り、夜8時までいました。
そして、その本を読んでは考え、考えては日記を書きました。

1週間繰り返したのです。

本を買えばいいのですが、お金を使いたくないのと、
荷物が増えるのが困るので買わなかったのです。

コーヒーは高いものでしたが、朝食と昼食を抜いてその費用を充てました。

お店には、若い女性の店員と男性の店員が交互で働いています。
文句を言われるかなと思いましたが、

一言もなく、ただ静かに働くだけです。

この1週間で私は、なぜ自分が成功したのかを明確に知ることができ、
なぜ挫折したのかを知りました。

そして、成功も挫折も今の自分にとって必要だったのだと悟りました。

この本を紹介したいところですが、やめておきます。

ご紹介すると、皆が探し始め、読み、わかったような気がしてしまいます。

気がするだけで、深く理解できないのではないかと思うのです。

旅の途中、一人の弁護士さんと出会いました。
日本の方ですが、

私はこの方だけに、本を紹介しました。

なぜ紹介したのかというと、今必要と思ったからです。
11日間ほどご一緒したのですが、彼から生きる難しさを教えられました。

本は、なぜ読むのでしょうか?

知識を得るためでしょうか?
何かを学ぶためでしょうか?

それとも、お金儲けのためでしょうか?

私がなぜ本を読むのか?

それは、行動のきっかけが欲しいからです。

人は行動しようとするとき、なにかきっかけが必要です。
誰かに背中を押されればいいのですが、

背中を押してくれる人は早々いません。

なので、私は動くことを躊躇しているとき、
迷っている時に本を読みます。

そして、一気にことをなすのです。

2009年5月12日火曜日

№8 真実と裏切り

今日の記録から物語は一気に佳境に入ってきます。

私は、一日考えました。

本当にこの話を公開した方が良いのか・・・

なぜかといいますと、私が話すことで、
私だけではなく家族をも巻き込んでしまうからです。

私自身はなにを言われてもかまわないのですが、
家族はそういうわけにはいきません。

子供も成人し、私のブログを見ているかもしれません。
家族のことをあからさまに書いても良いのか悩みました。

書かなければ、私の考える胆の部分を理解してもらえない。
しかし、書けばまた波風が立つ

正直今も迷っています。

私は考えました。そして結論に達しました。

今日は書きます。

しかし、明日はどうなるかわかりません。

今日の記録を明日になれば消してしまうかもしれません。
書き換えてしまうかもしれません。

自分でもわからないのです。

もし、良かったら今日の記録を読んだ感想をお送り下さい。
あなたの考えを聞かせてください。

自分だけの世界に入り込みたくありません。

あなたの意見を聞いたらかといって、
私の意志が変わるわけではありませんが、

まったく意味のないことをお話ししていっても
仕方がありません。

私は、孤独の旅の記録を通し、

生きる意味とはなにか?

本当の自分とはなにか?

コアとはなにか?

生きていく上で最も大切なことをお話ししたいと思っているのです。

私が第2の人生を歩む上で、避けて通れない道なのです。

2008/12/21 韓国釜山 2

今日一日で35000円も使ってしまった。

このままでは1年間持たない。節約しなければ・・・
しかし、俺は本当に節約ができない。

質素・倹約・貯金・節約・・・・これらの言葉と無縁の暮らしをしていた。

この記録はMrxが毎日見ている。
俺のお金の使い方がなっていないので、一つのツールを送ってくれた。

孤独の旅支出記録というものだ。

宿泊費、交通費、食費、かっこつけ費、その他
の項目からできている。

エクセルでできているこのシートに毎日の支出の記録を
つけていってください。という、メールだった。

正直めんどうだな、まあ、適当につけておくか、どうせわからないし。
と思っていた。

しかし、Mrxは千里眼なのか、人の心が読めるのか、

平さん、適当につけるならつけない方が良いです
確実に使ったお金を1円単位で付けていって下さい。


こういわれた。

家計簿を付けていくと、毎日どのくらいお金を使っているか、
それを知るだけでも変化が現れた。

記入していくとムダが分かる。
なぜか、お金を使うときに本当に必要か考えるようになった。

日本にいるときはお金を使うとき、考えもしなかった。
ほとんどクレジットカードで支払っていた。
なので、いったい毎月いくら使っているのかわからなかった。

2年もしないうちにチタンカードが届けられたので、
相当のお金だったと思う。

お金を湯水のように使った。
とは、このことだろうな。

この日、福岡である女性と知り合いになった。
彼女は26才。病院で事務をしているといった。
月給が18万円。経費を引かれると手取りで11万円だそうだ。

いったいどうやって食べているのか。

自宅なのでやっていけるといっていたが、
借金はないのか聞いた。

あるという。

クレジットで、服などを買い、脱毛のためにエステサロンに支払った。
脱毛だけで80万円ほど使ったらしい。

これだけで毎月9万円の返済。

11万円の手取りで9万円の返済。どうやって返すのか。

しかし、私だけではないという。

普通の人は毎月15万円とか30万円で暮らしている。
思い起こしてみれば俺もそうだ。
月々35万円。手取り30万円で家族4人、住宅ローンを払いやっていた。

普通に暮らしていたのだ。

しかし、旅に出る前、銀座などに飲みに行けば一人10万円ではきかない。
食事に行き何件かクラブ、キャバクラに行けば30万円は消える。

一晩で、普通の人の給料を飲み食いで使っていた。

しかも、その飲み食いが何かの役に立てば良いのだが、

ひたすら、自分の快楽のため。

付き合いだ、仕事といい訳をしてみてもそうではない。
自分が行きたいから行っていた。

女にほめられ、自分がお金持ちだと自慢し、

年収5億円だといいふらしていた。

それがどれだけバカなことで、むなしい事かは自分でも感じていた。
しかし、楽しいのでやめられない。
また、お金もあるので苦にならない。

そんな生活を2年間も繰り返していた。

気がついたときには、会社は赤字に転落していた・・・

しかし、快楽をやめることが出来なかった。
そんな生活を断ち切りたいという思いもあり旅に出ようと思った。

良い服を買い、最高のホテルに泊まり、女性と遊び、
高い食事と高級ワイン、ブランドの時計、最高級車・・・

贅沢の限りを尽くした。そういう人間は最低の人間と思っていた。

それが自分だった。

今日決めたことがある。

1.支出を毎日付ける。ムダなお金がないか確認。
あったとしたら、次からそれを使わないようにする。

2.銀座や六本木のクラブ、キャバクラに行かない。
仕方がなく行くことがあっても女を口説かない。
自分がお金持ちだということを口が裂けてもいわない。
行く場合も必ず割り勘にする。

3.欲望のままに生きない。
欲しいものをはっきりさせそれを書き出す。手に入れようと思う。
しかし、手に入る段階になったら本当に欲しいか、
必要なのか、もう一度考える。

欲しい=手に入れる。という感情のままに生きるのをやめる。

4.支払い
誰かと食事に行くときはほぼ俺が支払った。
それがかっこいいと思っていたし、
お金を持っているものが払うべきだと錯覚した。

少し休んで、家族について考えてみる。

韓国釜山 3

尊敬される存在になりたいと思って頑張ってきた。

思いやりがあるほうではない。下手をすると全くないかも知れない。
自分をいいように表現するのも嫌いだ。
なぜか、嫌われるように振る舞ってしまう、
あまのじゃくのようなところがある。

子供の教育もしたことがない。相談にすら乗ったこともない。
ひたすら働いてその姿を見せてきただけだ。

子供は、お母さんと仲良く暮らしている俺をみて安心していた。
うちは理想的な家庭だ。そう思ってたはずだ。

それが根底から崩れたのだからかわいそうな事をしたと思う。

実は俺もその時期を経験した。

俺が20年間勤めていた会社の社長は母の面倒を見てくれていた。
俺たち家族にとてもよくしてくれた。尊敬できる人だった。

俺はうすうすは感じていたが、社長と母は体の関係はないと信じていた。
それがある日、はじめから体の関係があったことが分かった。

本人達から聞いた。

ショックだった。

社長をなじった。

母はうなだれているだけだった。

母は何も出来ない人間だったので今思えば仕方がないと思う。
母なりに頑張ったのだ。

しかし、世の中には母親だけで家族を養っている人は沢山いる。
苦労して働いて、子供を育てている母親は沢山いる。

なぜ、俺の母はそれができなかったのか。

信じていた社長には裏切られた気持ちだったが、
その後も母を大切にしていたので怒りの気持ちは薄れていた。

しかし、会社が倒産するとき、私と兄を借金地獄に巻き込んだ。

その後、会社の金をごまかしたといういわれのない理由で
私を包丁で脅し警察沙汰になった。

成功した私が憎くて仕方がないといった

母は倒産した時社長に棄てられて、自暴自棄になっていた。
その時も妻が母を支えてくれた。

常に困ったとき助けてくれたのは妻だった。

俺はその妻さえも裏切った。

思い返せば返すほど、気持ちは落ち込んでいく。

消えてしまいたいと思った。


感想は以下までお寄せ下さい。
送り先:50agelife@improbic.com

№7 絶対に無理

2008/12/28 韓国釜山

今釜山だ。もう帰りたい・・・とても無理だ

朝10時15分発のフェリーに乗ろうと思い博多港へバスで向かった。
そこはすでに韓国だった。
博多港に着きフェリーの切符を買おうとしたら、

「予約していますか?」と聞かれた。―韓国語で

何それ?予約しないと切符が買えないのか。

焦った。冗談じゃない。また、博多に泊まるの?
俺は食い下がった。しかし、取り合ってくれない。
しかたなくキャンセル待ちした。

一時間ほど時間が過ぎた。俺は熊のようにうろうろ、うろうろして
いた。落ち着かない。

良かった!
運良くキャンセルがあり乗れた。

安堵した。

切符もまともに買えない。
普段自分で何もしないのでまったく分からない。

船は3時間ほどで、釜山港に着いた。

少し前にMrxの指示があった。
もっと早く行ってくれよ。準備もできない。
ぎりぎりにならないと連絡が来ない。

ぎりぎりの連絡―後にこれにも意味があることがわかる。
Mrxは常々言っている。

平さん、私は意味のないことはしません。
ムダなこともしません。すべてのことに意味があるのです」


そんなことはどうでもいい。とにかく早く少しでも早く連絡をくれ!

俺は、焦りとやりきれない気持ちを抱きながら、
Mrx指定のゲストハウス4Uに向かった。

向かったといっても場所も方向もなにもわからない。
わけのわからない記号のような文字しかない。

お金をかけられない。なので、タクシーに乗りない。
釜山港から、地下鉄で行こうと思ったがどうにも分からない。
言葉がまったく理解できない。
象形文字よりひどい。―象形文字を読めるわけではないが。

雨も降っている。天を仰ぐ。気が滅入る。

心細い。

観光案内所で聞くことにした。
観光案内の女性はとても親切で、ネットで調べ教えてくれた。

地下鉄の乗り方を聞いたがとても理解できない。
途中で迷子になるのも惨めなのでタクシーで行くことにした。

結局タクシーに乗ってしまった。しかも、海外初日から・・・

タクシーは日本語の分かる高級タクシーと、
日本語の分からない一般タクシーがあった。
安い一般タクシーを選んだ。

Mrx指示の宿の場所は案内所の女性が書いてくれたので簡単に来れた。

しかし、着いたところがとても怪しい。
ああ、こういうところかー、不安になり焦ってきた。

ゲストハウスとはどういう種類の宿泊所か知らなかった。
心臓の鼓動も早くなり、血圧も上がってきた。

臭い。無理だ!と思った。
あまりに汚い。

韓国は先進国ではないのか。とてもこの辺には泊まれない!

しかし、Xの指令なので無視できない。
仕方なくゲストハウスを探した。

どこがゲストハウスかまったく分からない。
いかがわしいホテルなのか。そもそもハウスという字がない。

ゲストハウス名を書いた紙を見せて聞いたが誰も知らない。
お前はバカか?そんな目で見ている。

弱ったー、雨も強くなってきた。
どうしよう・・・ポリスがいた。頼りなさそうだが聞いた。

すいません、ここに行きたいのですが・・・

しかし、返事が韓国語でまったく分からない。表情もない。
能面のようだ。
俺は外国人だ。少しは愛想良くできないのか。無理だな。

1時間ほどうろうろつき探した。
しかし、分からない。雨がさらに強くなってきた。

空が暗くらくなってきた。
俺はあきらめた。

俺は、広い道路を探しタクシーを止めた。
とても歩いてホテルへ行く気力はなかった。
疲れ果てていた。

運転手に、どこかホテル連れて行ってというが、まったく通じない。
はあー、まいった。すると運転手が、パラダイス?と聞いてきた。

たぶんパラダイスホテルではないかと思い、
そうだ!そこに行ってくれ!と叫びんだ。

パラダイスホテルに着くには着いたがかなり遠かった・・・
また金がかかってしまった。自己嫌悪だ。

これから先大丈夫なのか。
まだ、初日だ。

とりあえず、パラダイスホテルにチエックした。

すぐに、服を洗濯した。
下着を1枚しか持っていないので、洗濯をしないと着る服がなくなる。

ホテルに着いたら洗濯。これだけは覚えた。
早く洗濯しないと服が乾かないからまず洗濯だ。

Mrxには悪いが指導通りできない。

フェリーも指定されたフェリーではなかった。
1日福岡によけいに泊まってしまった。

風を引いたとウソをついた。
実は、韓国に行きたくなくて体がいうことをきかなかった。

気持ちは、早く海外に行き、
未練を断ち切りたいのだがどうしてもだめだった。

今ホテルの部屋で書いている。
まず思ったことが、安心して住める場所が一番最初に欲しい。

ゲストハウスを探しているとき、どんどん不安になっていった。

本当にここか?!

どうやって泊まるのか。チエックインできるのか。
カードは使えるのか。
こんなところに泊まってどうすればいいのか。
ネットは。

泥棒に取られたら・・・。とても無理だ。

1年間旅など出来ない。無理だ。

海外初日でこれなのだ。どうやって1年間も旅が出来るのか?
しかも、お金はどんどんなくなっていく。
お金も決まった額しか持っていない。
減っていくと不安になる。

なくなったらどうなるのか。
どうやって生きていけばいいのか。

本当にATMでお金をおろせるのか。
おろし方も知らない。
何からなにまで不安でどうしようもない。

いままでどんなに幸せだったか・・・。
初日で全てを理解したように錯覚した。

3日間でも1週間でも一人旅をしてみるといい。
お金、家、友人、家族などのありがたみがよく分かる。

とにかく、言葉が分からないので動きようがない。
準備も何もしていないので、何をどうして良いかも分からない。

このままでは、とても旅を続けられない。
どうしたらいいのか?

目的も行き先を分からない旅がこれほど神経をすり減らすとは思わなかった。
本当にもう帰りたい。

しかし、帰るえるわけにはいかない・・・惨めだ。

Xの指示を待つしかないが、どうしたらいいか分からない。

旅に出たら、いままでの自分を振り返ってみたい。
見つめ直し、ブレインダンプをして・・・旅行記を書いてなど、
考えていたが、とてもそんな気分ではない。

後3日間さえ我慢できない。

心が、神経が、頭がパニくっていた







追伸

このブログを読んだ感想を送っていただけると嬉しいです。
また、私への質問も受け付けます。今困っていること、悩んでいること
なんでもかまいません。できる限りお答えします。

ただ、以下の点だけ注意して下さい。
真剣に質問すること・理解できるように書くこと・1回に質問は一つであること
送り先:50agelife@improbic.com

№6 堂々巡り

私の孤独の旅の記録は今日現在で、
A41000ページを超えました。

一年間の大河ドラマができるくらいの量です。

先を急がなければなりません。

2008/12/20 博多
まだ博多にいる。

風邪をひいてしまった。が、薬を飲んで収まってきた。
風邪など年に一度もひかないのに・・・ゆだんしている。

旅に出ると決心して、
実際に孤独の旅が始まってみるととても気が重い。

憂鬱だ。

自分がそうしてしまっている。

せっかくの旅なのだ。
一生に一度しかできない旅だ。

楽しもうとすればいいのだが。―できない。

良いことを考えると悪いことが起きる
というトラウマがあり、どうしても物事を悲観的に考えてしまう。

俺はいつも最悪を考えて行動している。

会社では、
倒産したときどうするか。
全財産を失ったらどうするか。
社員が全員やめたらどうするか。
―考えてしまう。

家庭では、
自分が死んでしまったらどうなるのか。
旅の途中で死んでしまったら、どうなるのか。

明日、フェリー乗り場まで行けるか。
行けなかったらどうしよう。

途中で車にひかれたらどうしよう。
みっともないな・・・バックの中のエロ本が見つかったら誤解されるな。
家にはやばいものがたくさんある。

妻が新宿まで送りに来てくれた。

別れるとき妻は、これが最後になるかもね・・・といった。
どういう意味か分からない。
こういう意味深な事をいわれると本当に不安だ。

もしかしたら、妻にもらった薬に毒が入っているかも、
会社を売ってしまうかも、
マンションを手放してしまうかも、
死ぬ気かも。

どうして、これが最後なのか?

今回の旅は今までの旅とは違う旅だと思っている。
―今までのは旅とはいえない。旅行だ。

しかし、冒険家のような過酷な旅は出来ない。
高血圧も心配だし、倒れたらどうしよう・・・
死ぬかも。

しかし、死んだからといって何がどうなるものでもない。
普通に、悲しむ人が悲しみ、喜ぶ人は喜ぶ。

俺が一人が死んだからといって、なにかが変わるとは思えない。
総理大臣が死んでも、天皇が死んでも、なにも変わらないのだ。
俺が死んでもその辺の蟻が死んだと変わらない。

俺は常にいつ死んでも良いと思い、毎日を過ごしてきた。

懸命に生き、懸命に働いた。それが俺の誇りでもあった。

やり残したことはない。

これからやりたいと思うことはあるが、それほどたいしたものでもない。

旅は始まったばかり、これから様々な出来事がある。

一番心配は旅の資金だ

50万円ほど持ってきたが、これで1年間足りるわけはない。
お金がなくなったときどうなるのか・・・

帰るしかないのか。

お金がなくなりました。といってのこのこ帰れるわけがない。

アルバイトでもするのか、物乞いでもするのか。
できっこない。

なにもできない。できるわけがない。
恥ずかしい。俺は49才の大人なのだ。

あんた、なに考えてるの?
そういわれておしまいだ。

焦る。不安は募る。今から帰るか。お腹が痛くなってきた。
本当だ。血圧も上がってきた。―気がする。

帰れない。
眠れない。
やめれば良かった。

かっこつけなければ良かった
しかし、朝は確実に来る。
朝になったら、支度をして、バスに乗り、フェリー乗り場に向かうしかない。

嫌々でも行くしかない。

明日は釜山へ渡る。