2009年5月16日土曜日

№15 これがラスト

2008/12/30 チチハルー北京

平さま、

お疲れ様です。

今は夜の12時くらいだと思いますので
ゆっくりと寝て休んでおいて下さい。

明日の予定ですが、まずは水を500ml飲み、サーキット、
歯磨き、朝食をしっかりと終わらせて下さい。

それが終わったら以下を行って下さい。

1: 龙沙公园 に行って下さい。そしてそこにある物を全て見て下さい。
証拠写真を撮って下さい。

2: 清真寺 に行って下さい。同じくそこにある物を全て見てください。
証拠写真を撮って下さい。

以上を行ったらブログをUPして私にメールをして下さい。

現在までに写真をたくさん撮ったと思いますので
それらもしっかりUPしておいて下さい。
以上が終わりましたら次の目的地をお伝えします。



朝8時に起きる。いつものようにサーキットを行い、歯を磨き、水を飲む。
朝食を食べなければならないのだがお腹がすいていない。
それと、中国のご飯が怖くて食べられない。

チエックアウトして龍沙公園に向かう。バス停はすぐに見つかる。
指示通り15路のバスを探し乗り込む。
バス代は1元だ、安い!7つほどの駅で降りる。

指で数えていたら、分からなくなった。焦った。違うところで降りたらかなり歩く。

外はとにかく寒い。耳がちぎれそうな寒さだ、
北海道の知床当たりの寒さではないか?いったことはないが・・・

行き先を書いた手帳をおばちゃんに見せた。まだ先だという。
俺がそわそわしていたら、違う女性が、ここで降りろ、降りろと教えてくれた。

公園は子供じみた公園だった。下手な氷の彫刻祭りをやっていた。
札幌の氷祭りとは比べものにならないな。
色々見て回ったがうちの田舎の公園とかわりない。

この寒さで卓球を外でやっているのには驚いた。
何を好きこのんでやっているのか。
デートを楽しんでいる人、観光の人が数人いた。

15分ほど居たが、何も得られそうに無いので去ることにした。

Mrxは何にでも意味があるというがこの公園は無いと断言できる。
しかし、バスの乗り方、バスの安さを学んだ。

その後、歩いて清真寺という寺を探した。
歩いていける距離かどうか分からない。とりあえず道を聞く。
道を聞くことにもなれた。といっても、紙に書いて見せるだけなのだが。

そこをまっすぐ行けといわれた。とりあえず歩く。
どのくらいで着くのか分からないので不安だ。それに寒い。耐えられない。

とりあえず、近所の病院に入った。
バックパックからタオルを出し、マスク代わりにする。
道を歩いている人も、マスクをしている人が多い。

道に沿って、高級マンションが多数あった。
警備員が居る本格的なマンションだ。しかもでかい。

中国に来ていない人は、来てみると、噂に聞いている中国と違う事に驚くと思う。
とにかく発展している。日本とそんなに差はないのではと感じる。
貨幣の価値は、13分の1くらい。安いものは極端に安い。

マンション群を左にみて歩いた。タオルがきいて寒さも我慢できる。
また、道を聞いた。すぐそこだという。左に曲がった所に寺が見えた。
あの寺が違ったら帰ろうと思った。

やはり寒さに耐えられない。
その寺が、清真寺だった。

特に寺に興味があったわけではないので何の寺かも知らない。
今回の旅は観光が目的ではない。なので、地球の歩き方も持ってきていない。
本当に着の身着のままである。

寺の中を散策。といっても、すごく小さな寺で、直径20Mくらいか?
寺の修行層、若いのが3人ほど居た。
お賽銭をやり、写真をとり帰る事にする。

今日は、Mrxの指示通り2つの事ができた。うれしい!

そう思ったら、目の前にケンタッキーがあった。
自分にご褒美と思い、また、ここまでの事をブログに書き、
写真をアップしなければならないので、コーヒーを飲むことにした。
ついでに、ハンバーグと鶏肉を食べた。

バス停に向かう。バス停で石焼き芋を買った。2元。高いなと思った。
ぼられたか?
こちらの石焼き芋は水っぽい。うまくない。
しかし、何か食べなければ持たないので食べた。
バスは5分ほど待って来た。乗り込み、チチハルの駅に向かう。

次の指示は黒川に行けだ。

駅の中で時刻表を見た。おかしい。
黒川行きが隔日になっている。しかもすべて満席!
駅を見渡した。すごい人間の数だ。中国も帰省ラッシュなのだ。

困った。6:40発と書いてある。
隔日なので、今日発は明日発か分からない。

質問しようにも聴き方がわからない。今回は電子辞書を持ってきたので、
困ったときに引いて、それを書いて見せているのだが、
込み入ってくると分からない。

とりあえずMrxにその旨をメールする。
黒川が隔日、いつ発かわからない。しかも、満席表示。

チチハルからは、大連、丹東、北京に列車が出ている。
どうしたらいいか。

俺の予測は、Mrxは変人なので同じ所には行かないと思い、
北京だろうと考え、北京の列車を調べた。

Mrxからの返事は、北京へ行けだった。
少しほっとした。少しでも南に行けば暖かいだろうと思った。

このまま北に行ったらロシアだ。
もし、Mrxの指示がロシアだったら、無視して北海道に飛行機で向かおうと思った。

ここでも困った。
北京行きの列車がどれも満席なのだ!
今回は一般に座って行こうと思っていた。

しかし、調べてみると丹東よりも遠い!2000キロもある!無理だ・・
明日まで待つか、途方に暮れた。

どうしようもなく中国の知り合いの孫さんに電話した。
彼女は、日本語ができる。
孫さんが、近くの学生っぽい女の子に電話を替わってという。

何人か声をかけるが、みな断られる。
カップルの16才くらいの女の子が替わってくれた。
孫さんとなにか話をしている。女の子が了解したらしく、俺を引っ張っていく。

しかし、窓口は全部沢山の人が並んでいるのだ。
女の子はまったく気にせず、並んでいる人をすっ飛ばし窓口に行き話を始めた。

そして、俺にお金を出せという。俺はすぐに300元出した。
事前にいくらかかるか、掲示板を見ていた。それですぐに買えた。

いったいどういうことか?どうして誰も文句を言わないのか。
みな1時間以上も並んでいるのに・・・分からない。

さらに女の子は、おれを引っ張り、乗り場の入り口まで連れてきてくれた。
孫さんがそう頼んだのかも知れない。しかし、親切だ。

女の子と彼氏は、俺の出発まぎわまで見守ってくれた。
最後に携帯で写真を撮られた。笑顔で分かれた。

ここでも、少しお礼を渡そうとしたが、断られた。
中国の若者はほんとに親切だ。最後まで面倒を見てくれた。

列車に乗り込んだ。また寝台車だ。申し訳ない。
しかし、座ったままで本当に何十時間以上も耐える必要があるのか少し疑問だ。

たしかに、座っている人、底辺で働く人の気持ちは分かると思う。
しかし、自分も小さな時はそうだったのだ。そして、貧乏を乗り越えてきた。

良い生活をしたい。
他の人より、うらやましがられる生活を絶対にすると決めた。

そして、そうなった。

結局それが行きすぎてしまったのかも知れない。
いつも、自分の原点を思いだしていれば、
そして、すこしの成功に感謝していれば、今のようなことはなかったのだ。

俺は、原点を忘れていた

九州の田舎から夜行列車に乗ってきた。
母と兄とこの列車の一等と同じように、堅い椅子に座ってきた。

泣いて、母を困らせながらきたのだ。

兄は、強かった。泣き言も一言を言わずただ我慢していた。
何十時間も夜行列車に揺られ、家族3人で長野県の富士見という町に着いた。

母は土方達の世話をし俺たちを学校に行かせてくれた。
俺は、土方達と遊んだ。楽しかった。貧しかったが気持ちは豊かだった。

それは、誰もが、助け合い生きていたからだ

お金のない人を少しお金のある人が助ける。
お金がなくても、働いて助ける。あるものをくれる。交換する。
そして、みんなで寄り添って生きてきたのだ。

家族が俺を守ってくれた。そこに仕事が無くなると住み家を転々とした。

リアカーに乗るくらいの荷物しかない。

学校の友達とお別れし転校していく。何回も転校した。
いつも、兄がいたので助けてくれた。
俺は体は小さかったが、負けん気が強かった。だからけんかにも負けたことがない。

しかし、いつしかけんかが怖くなった。

けんかをすると母が困る。学校を退学にされたら申し訳ない。
そういう思いが強くなり、自然とけんかしなくなった。

そして、けんかしても、すぐに謝る人間になってしまった。

屈辱だった。

どうしても、家族に迷惑をかけるわけにはいかない。
俺は耐えた。そして、暗い笑わない子供になっていった

貧乏は続いたが、母や兄がいつも俺を守ってくれた。
だから、おれは、それほど本当の貧乏を知らないのかも知れない。

俺は、人にいつも影があるねといわれた。
自分でもそう思っていた。

明るくしてはダメだ。暗くしていよう。困った顔をしていよう。
その方が、周りの人が喜ぶ。
喜ぶというか、俺を見ていたら、自分の方が上という気持ちになれる。
その方が相手のために良いだろうと思ったのだ。

俺は小学校2年からの前の記憶がない。どうしても思い出せない。

だから、保育園に行った記憶、小学校に入学した記憶もない。
長野に転校してきた時から俺の人生が始まっている。

思いだそうとするのだが、どうしても思い出せない。
それはいいのだが、俺の過去だけが暗い分けではない。
もっと悲惨な過去を背負っている人もいる。

しかし、人は人だ。自分がどう生きるかそれだけが問題なのだ。

今回の旅をわがままという人、
子供の遊びかと言う人、色々な意見があった。

すぐにいきなさい、そう言ってくれたのは妻だけだ。
妻は俺が旅をすると決めたことをとても喜んだ。

しかし、今回の旅はMrxの意見で決めた。Xの指示で動く。
そう言ったら少しがっかりした。

そうなんだ、自分で決めたのではないの・・・
いや、決めたのは俺だ。

今までのような豪華な旅行など考えていなかった。
というのは、実はウソで、マカオに行って女と遊ぶか、
タイの高級ホテルでパーとやるか!という気持ちもどこかにあった。

しかし、その気持ちは、Mrxの初日の課題で吹っ飛んだ。

新宿のバスターミナルに着きバスに乗り込んだ。
ああ、俺の孤独の旅がはじまるんだ。
そう思ったとき、
そして、妻の見送りの最後の顔を思いだしたとき俺の覚悟は決まった。

俺は必ず旅を続ける。

1年間・・・それは考えない。
今日をやり遂げ、明日の指示をこなし、その意味を考えたい。
考える時間はたっぷりある。

こうやって書いていると昔を思い出す。走馬燈のように駆けめぐる。
苦しいこと、楽しいことがあった。
そういう事を1年に1回でも一人になり思いだし、
感謝し、考えていれば、おれは旅に出る必要も無ければ、
なやむ必要も無かったのかも知れない。

俺は母に愛され、兄に大切にされ、家族に尊敬されていたのだ

そのことを少しでも思い出せば良かった、自分の欲に負けた
欲を追い求めるのはいい。
しかし、その欲に負けてはいけなかったのだ。

欲を利用する。戦わない。
手に入る現実が目の前にきたら、考えて手に入れる、
その時、必要無かったらかっこつけないで手に入れない。
それができれば良かった。

今ならできる。今日は、少し自分が成長した気がする。

少し心が軽くなった。もう外は真っ暗だ。とてもくらい。

俺の心もこんな闇だったのか。寝よう。

朝早く起きもう一度振り返ってみよう。孤独の旅に感謝する。








今日のブログで孤独の旅を書くのをやめます。
いつの日かこの続きを発表できる日が来ると思います。

自分の原点。コア。

私たちにとって最も大切なものであり、最も邪魔なものでもあります。
コアを探し求めるべきか、コアを捨て去るべきか。

コアとは、天使と悪魔のようなものなのです。

人間はいくつもの性格、パーソナリティーを自分の中に持ち合わせています。

挑戦しよう自分、守ろうとする自分。
やろうとする心、チョット待てと考える心。

そして、どちらでも良いという心です。

私は自分の心の持ち方でとて悩みました。
そして、旅に出ました。

今どうしているのか?

会社は復活しています。
苦しいながらも皆が一つになり頑張って、私の帰る日まで守ってくれています。

みな私の帰りを今か今かと待っています。

今すぐにでも帰りたいです。

しかし、今帰るわけにはいきません。

私が帰るときは、エネルギーが体中に充満し、臨界点まで来たときに
帰るつもりです。

では、帰って今までと同じような激しいマーケッティングを仕掛け
同じようなビジネスをするのか?

それはないと思います。

今、満たされた毎日を送っています。
このように素晴らしい人生を生きられるのは、

他でもない、あなたも含めて全ての人のおかげです。

私は今まで自分にスポットライトを当ててきました。
しかし、もう良いです。

これからは、多くの人に光を与えていければ、
いえ、それさえも考えません。

たった一人の人間さえも幸せにできない私が大きなことを言ってはいけません。

人は小さくならなければ、人の気持ちがわかりません。
相手の目の中に入れるくらい、耳の中に入れるくらい

自分を小さくする。

そうすれば、どんな人の心にも入り込め、その人の気持ちを理解できます。

それが最も大切です。

私は、働くことで学んできました。
働くことで、一生懸命働くことで、

人生の全てを学んできたのです。

これが私の原点、コアです。


コアとは、人それぞれ違います。
あなたのコア、私のコア、皆違います。

あなたあなたのコアを見つけ、そして、どう生きるべきかを考えてください。

このブログがそのきっかけになれば幸いです。

追伸

1習慣ほどお休みし、今度は打って変わって

第2の人生についてお話ししていきます。

それでは、see you

please give me a message !
50agelife@improbic.com

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