2009年5月12日火曜日

№6 堂々巡り

私の孤独の旅の記録は今日現在で、
A41000ページを超えました。

一年間の大河ドラマができるくらいの量です。

先を急がなければなりません。

2008/12/20 博多
まだ博多にいる。

風邪をひいてしまった。が、薬を飲んで収まってきた。
風邪など年に一度もひかないのに・・・ゆだんしている。

旅に出ると決心して、
実際に孤独の旅が始まってみるととても気が重い。

憂鬱だ。

自分がそうしてしまっている。

せっかくの旅なのだ。
一生に一度しかできない旅だ。

楽しもうとすればいいのだが。―できない。

良いことを考えると悪いことが起きる
というトラウマがあり、どうしても物事を悲観的に考えてしまう。

俺はいつも最悪を考えて行動している。

会社では、
倒産したときどうするか。
全財産を失ったらどうするか。
社員が全員やめたらどうするか。
―考えてしまう。

家庭では、
自分が死んでしまったらどうなるのか。
旅の途中で死んでしまったら、どうなるのか。

明日、フェリー乗り場まで行けるか。
行けなかったらどうしよう。

途中で車にひかれたらどうしよう。
みっともないな・・・バックの中のエロ本が見つかったら誤解されるな。
家にはやばいものがたくさんある。

妻が新宿まで送りに来てくれた。

別れるとき妻は、これが最後になるかもね・・・といった。
どういう意味か分からない。
こういう意味深な事をいわれると本当に不安だ。

もしかしたら、妻にもらった薬に毒が入っているかも、
会社を売ってしまうかも、
マンションを手放してしまうかも、
死ぬ気かも。

どうして、これが最後なのか?

今回の旅は今までの旅とは違う旅だと思っている。
―今までのは旅とはいえない。旅行だ。

しかし、冒険家のような過酷な旅は出来ない。
高血圧も心配だし、倒れたらどうしよう・・・
死ぬかも。

しかし、死んだからといって何がどうなるものでもない。
普通に、悲しむ人が悲しみ、喜ぶ人は喜ぶ。

俺が一人が死んだからといって、なにかが変わるとは思えない。
総理大臣が死んでも、天皇が死んでも、なにも変わらないのだ。
俺が死んでもその辺の蟻が死んだと変わらない。

俺は常にいつ死んでも良いと思い、毎日を過ごしてきた。

懸命に生き、懸命に働いた。それが俺の誇りでもあった。

やり残したことはない。

これからやりたいと思うことはあるが、それほどたいしたものでもない。

旅は始まったばかり、これから様々な出来事がある。

一番心配は旅の資金だ

50万円ほど持ってきたが、これで1年間足りるわけはない。
お金がなくなったときどうなるのか・・・

帰るしかないのか。

お金がなくなりました。といってのこのこ帰れるわけがない。

アルバイトでもするのか、物乞いでもするのか。
できっこない。

なにもできない。できるわけがない。
恥ずかしい。俺は49才の大人なのだ。

あんた、なに考えてるの?
そういわれておしまいだ。

焦る。不安は募る。今から帰るか。お腹が痛くなってきた。
本当だ。血圧も上がってきた。―気がする。

帰れない。
眠れない。
やめれば良かった。

かっこつけなければ良かった
しかし、朝は確実に来る。
朝になったら、支度をして、バスに乗り、フェリー乗り場に向かうしかない。

嫌々でも行くしかない。

明日は釜山へ渡る。

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