2008/12/22 韓国ソウル
深夜、Mrxから指示が来た。
釜山から最も安い電車でソウルまで行き、
ソウルから地下鉄に乗って、kim’s gesut house まで行け、だ。
たったこれだけ。他には?そこになにがあるの?!
意味を教えてよ、意味を。
くそーまた電車か・・・しかも地下鉄。
無理だ。
まあ、タクシーで行ってもMrx分からないから良いか・・・
そんな軽い気持ちでホテルを出た。
釜山駅に着いたがどうやって電車に乗るのか分からない。
韓国語は何が何だかわからない。
Mrxの課題追伸が、
観光案内所を探して、一番きれいなお姉さんに行き方を聞け。
という指示だったので、聞こうとしたが無理。
きれいなお姉さんがいない。いても言葉もわからない。地図もない。
結局、男の人に声をかけた。
「do you speek japanees?」
すると隣の女性が「こっちに来い」と日本語で声をかけてきた。
はじめからこのお姉さんにすれば良かった・・・
お姉さんは、親切に切符の買い方を教えてくれた。すぐに分かった。
切符売りのお姉さんは英語で説明してくれた。
俺は受け答えした。
といっても、俺の英語はまったくダメでなかなか通じない。
あー英語くらい満足に話したい・・・話せないと恥ずかしい。
恥ずかしい、焦るか、困る・・この言葉だけの連続だ。
俺は韓国の新幹線といわれている電車に乗った。快適だ。社内もきれい。
3時間ほどでソウル駅に着いた。
さあ、地下鉄を探そうと思ったがやっぱり無理。
何が何だか分からない。
やっぱ、観光案内に聞こうと思い、探した。
その前に腹ごしらえ。
韓国料理を食べたいと思ったが、韓国料理店は韓国語しか話せないと思い、
バーガーキングに入った。
チーズバーガーを頼みたかった。コーヒーセットで。
しかし、どうしても通じない。店の子はいらいら。
いらいらするのは俺の方だ。
仕方がない普通のハンバーガーを頼んだ。コーラとポテト付き。
結局、メニューの番号を指さし頼むしかなかった。
むなしい。些細なことで恥かしく落ち込む。
食事を終え観光案内所に行った。
パソコン上の地図を見せ、ここに行きたい指示した。
日本語で答えてくれたが、いわれても分からないので書いてもらった。
切符売り場でその紙を見せながら切符を買った。
行き先まで地下鉄の乗り換えがあった。
乗り換え?!むり。絶対に無理。
しかし、案内所のお姉さんが、紙に書いてくれてあったのを思いだし、
若いカップルに紙を見せた。方向が一緒だったというので同乗した。
乗り換え駅を間違えてはいけないので、指でおって駅を勘定していた。
周りの人は、このおじさんバカかもしれないと思ったに違いない。
目的の駅に無事ついた。嬉しい!こんな些細なことで達成感がある。
駅の8番出口を出た。
しかし、やっぱりそこからどう行って良いか分からない。
掟を破りタクシーに乗ろうか迷ったが、まだ夕方3時前だったので、
1時間ほど探してみようと歩き出した。
パソコンに地図があったので、それを見ながら歩いた。
地図通りに着いた。
途中とても寒かった。マイナス10度くらいか。
もし、たどり着かなければ寒さで死ぬなと思った。
気がついたら、パソコンと指が凍り付いていた。
ゲストハウスに着いたのは良いが誰もいない。
困ったなー。
そこに外人が2階から降りてきた。
「ソーリー、どうすれば良いですか?」と日本語で聞いた。
大柄な外人はそこに電話しろと札を指さした。
俺は卑屈な感じでOKといい電話した。
なぜか俺は白人の前で卑屈になる。
電話には日本語のできる韓国人が出た。
今から行くので待っていろという。5分ほどで韓国の男がやって来た。
英語で話しかけてくる。うまいなー
適当な英語を話していると、おまえ、英語もできないのか?
と冷めた目で見られたような気がした。
個室で良いかと聞くので、ドミトリーの男女と答えた。
それはあいていない。個室しかない。という。
Xの指示はドミトリーに泊まることだったので食い下がった。
ないものはないといわれあきらめた。
個室はきれいだった。
6畳ほどの部屋で、リネン関係を渡され、鍵の説明を受けた。
居間みたいなところがあり、その周りに3室ほどある。
誰か夜出てきたら話をしてみよう。
とりあえず、夜出歩くと危ないと思い夕食の買い出しに出かけた。
鯛焼きの屋台があった。俺の大好物。
2つちょうだい!といった。
8個きた。
2つで良いというのに、これで2つだ!と強く言われた。
意味が分からないが、言い返せないので、納得しお金を払った。
140円くらいなので妥協した。
鯛焼きは日本のものとは違う。
日本のまずい鯛焼きという感じ。粉がおおく、あんこが好くない。
俺はあんこが大好物なのに頭にきた。
しかし、ぺろっと平らげた。
そして、近くにあったパン屋に入った。
結局今日もパンだ。韓国に来てパンしか食べていない。
他の食べ物の注文の仕方がわからないのだ。
3種類ほど選んで会計した。飲み物も買った。
店の女の子が、もうすぐクリスマスですね。
みたいなことを話かけてきた(と思う)
私が、意味のない笑いを浮かべそうですね、
といったら、女の子は、あら、韓国の人じゃないの?と言う顔をしてはにかんでいた。
俺は海外に行くとどこでも韓国人に間違われる。韓国系の顔なのだ。
トラウマ
なぜか、ふと思い出したトラウマという言葉。
誰もが自分自身のトラウマを持ち、心の障害になっている。
トラウマを考えてみた。
俺にも何か心にしこりがあるのか?
もし、あるとしたら母親の事しかない。
母は俺たち兄弟を一生懸命育ててくれた。とても感謝している。
と同時に、どうしても何か引っかかる。
何が引っかかるのか。
結局のところ、母が面倒をみてもらっていた事が引っかかるのだ。
それ以外には思いつかない。
小さい頃から、母にバカ呼ばわりされていたことや、
いつもたたかれていたが、それは自分が悪いと思っていたし、
特にうらみに思っていない。
俺が小学校4年生の時、父が蒸発した。
その頃から、社長が家に来るようになった。
なぜ来るのか分からなかった。
しかし、お小遣いはくれるし、親切だし思いやりもある。
俺たち家族を大切にしてくれているのがよく分かった。
だから嫌いではなかった。
しかし、どうして来るのかなと思っていた。
中学に入り、大人になり、母と社長の事は普通の関係ではないことはわかってきた。
しかし、男と女の関係はないと思っていた。そう信じていた。
そういうそぶりがなかったのだ。
大人になるに従い、社長の存在、母との関係がなんとなく恥ずかしく、
隠しておきたいものになってきた。
来なければいいのに・・・そう思う事もあった。
しかし、実際問題、社長がいなければ、家族は生きていけない。
学校にも行けない。
母は働いてはいたが、旅館なのでたいした給料にならない。
社長に頼るのは仕方なかった。
しかし、その一方で、母子家庭は他にもいる。
他のお母さんはそんなことしていないのではないか。
自分が頑張って家族を食べさせているのではないか、そういう思いもあった。
結局、悶々とした考えは常に堂々巡り。
兄が、何も考えていないのもへんに思えた。
兄は、社長のロボットのような存在で、とにかくいいなり。
社長の言うことを全て聞き、社長のいうように動いた。
尊敬もしていたし、好きだったと思う。
なにより感謝していたのだ。逆らうなどもってのほかだった。
会社が倒産するときになって、母は棄てられた。
他に女ができ、社長はそちらを選んだ。
母は身を引いた。もらっていた家を返した。
社長は喜んだ。その家を売って借金を返済に当てた。
母は汚い長屋に引っ越した。母の面倒は、妻が見ていた。
母は別れるとき、社長にもらったものを全て棄てた。
写真の目に針を刺してうらんだ。
そのうち、母が鬱病になった。
一人でアパートにいることに耐えられなくなったのだ。
誰とも話さない生活が続き、隣の住人に、お金を貸し逃げられた。
母は人が良いのですぐにお金を貸してしまう。
そして裏切られる。それでも貸してしまう。
結局、アパートを引き払い、老人ホームに入ることになった。
妻が決めたのだ。俺はさすがに、老人ホームはまずいと思った。
しかし、妻は介護のプロ、その方がお母さんのためになるという。
その言葉を信じ老人ホームに入れた。
すると、母のうつは次第に直っていった。
人と話をする機会が増えストレスや寂しさがなくなってきたのだ。
母は元気になった。
2008/12/23 ソウル2
朝早くMrxから指示がきた。メールの課題はこうだ。
「朝早く起きて電車かバスで仁川へ向かえ。そこから、フェリー乗り場に行き、大連に渡れ。
渡ったら青年旅舎にタクシーで行け。船は一番安い等級の雑魚寝で行け。」
こんな命令調の言い方ではないが、俺にはそう取れてしまう。
メールが来る度に気持ちが萎えていた。
ゲストハウスを出ると外は一面雪だった。
うっすら積もっている。さぶい!凍える!
北海道の知床よりも寒い。
通勤に向かう人、小学生などが歩いていた。
俺は焦った。
地下鉄は昨日乗ったから乗り方はある程度分かってきた。
しかし、バスは乗ったことがない。
ゲストハウスに地球の歩き方があるのを見つけたので調べに行った。
外人がいた。半袖だ。なぜ、外人(アメリカ人)はいつも半袖なのか。
愛想もない。
俺が下を向いて恥ずかしそうにハローと言ったのがいけないのか。
バスの乗り方を調べたが分からない。
ここに行って、こう乗れみたいに書いてあるが、
実際に行くと韓国語なのでちんぷんかんぷん。
結局、少し慣れた地下鉄を選んでしまった。
仁川までというと、1500ヲンだった。安い!
行き方はすぐに分かった。1番線だ。乗り込んだ。混んでいた。
立ったままでいた。ある程度電車は走った。
乗る前に行き先を間違えてはいけないので、2人に聞いた。
本当にこれで良いの?大丈夫?ねえ、本当に本当!みたいな聴き方を日本語でした。
二人共これで良いこれで間違いないというので信じて乗りこんだ。
1番線は1本で仁川に行くように見えた。
仁川は最終地点なので、安心していた。
50分ほどたった。おかしい。ドンドン田舎に行く。胸騒ぎがした。
1時間たった。電車が止まった。場所を見ると、仁川ではなかった。
あせった。どうなっているんだ!
電車地図を見た。外で見ていたのでとても寒い。足ががたがたいう。
今日は雪が降っていた。ふるえながら路線を確認した。
なんと!途中で線路が二股に分かれている!がーん!
俺が乗ったのは切り替え地点で天安にいく路線だった。
どうやって帰れば良いのか近くのガキに聞いた。
来た線で帰れという。電車を待って乗り込んだ。今度はよく見て帰った。
切り替え地点を見逃さないように地図の前にづっと立っていた。
一つづつ駅を確認した。
切り替え地点で降りた。
降りたはいいが、今度はどの線か分からない。
仁川という字を探したがない。東仁川があった。
これでいいのかなーとりあえずそのホームに行った。
お年寄りがいたので聞いた。
これでいい、これでいい。何度も念を押し教えてくれた。
俺が乗り込むまで心配して見ていてくれた。
韓国人は本当に優しい。
しかし、乗り込んでもにわかに信じられなかった。
今度は、駅を止まらないで飛ばして行く!
どうしたんだ!
すぐにこの電車が急行だと分かった。一安心。
東仁川で止まった。鈍行に乗り換え仁川に着いた。
降りたはいいが、フェリー乗り場が分からない。
聞こうと思って2,3人に訪ねた。ダメだ!全員中国人だ。
30分ほど色々回ったが分からない。焦って、弱り果てた。
仕方なく、友人にメールを打ち調べてもらった。
落ち着いて考えれば分かるのだが、どうしても不安になり焦ってしまう。
第1国際旅客ターミナルに行けば良いことが分かった。
こんな事くらい事前に調べなければダメだ・・・
タクシーに第1フェリーといった。が、通じない。
№1!通じた。
運ちゃんは、ファースト?セカンド?と聞いてきた。
焦っていたので、ファーストフードに聞こえてしまったのだ。
ファースト!ファースト!と叫んだ。
ターミナルに着いた。
今度は切符売り場が分からない。中国人だらけだ。気が滅入ってきた。
中国人はうるさくて、ならんでいても割り込んでくるし・・・
仁川ー大連という札を見つけそこに並んだ。今日の切符をくれと言った。
今日はソールドアウトだという。
キャンセル待ちは?と言ってたら、後ろの中国人が早くしろみたいな事をいい、
横に来て割り込もうとする。
俺は気が弱いので、切符きりの女性にネクスト?といい15日発を予約した。
Mrxの指示でエコノミーを買った。150000ヲン。
一安心して、コーヒーを飲んだ。まずい。甘い。
昼にまたハンバーグを食べた。
3日間ハンバーグとパンしか食べていない。
持ってきた青汁の粒を飲んだ。持ってきて良かった!
栄養失調で、肌が荒れていた。
もしかしたら、栄養失調ではなく体を洗っていないので垢かもしれなかった。
安いホテルを案内所で聞いた。日本語の分かるお姉さんが対応してくれた。
タクシーを探した。
観光タクシーの運ちゃんが、乗れという、いくら?と聞くと10000という。
高いなーと思いちょうど来たタクシーに乗った。ホテルまで6100だった。
そして、ホテルに着き洗濯をする。
洗濯が楽しくなってきた。
洗濯だけが唯一の楽しみだ。
出発してから今日まで同じ服、同じパンツをはいている。
これだけでも成長した。しかし、今日はムダな金を使ってしまった。節約しなければ。
Mrxから体力を落とさないように指示が来た。
この日からサーキットトレーニングを行う。
Mrxは肉体を鍛えるのが大好きだ。
好きというレベルを超え、変態の域に入っている。
付き合わされる俺たちはかなわない。
しかし、マスターなので逆らうわけにはいかない。
「やりたくないんですけど・・・」
「それはかまいません、やるかやらないかは平さんの自由です」
そう言われたら、やらないわけにはいかない。
今見捨てられたら、なにをどうしていいかわからない。
日本へ帰るわけにもいかない。
沖縄当たりで1年間隠れていようか・・・何度もそう思った。
今サーキットトレーニングを終えた。苦しい。
普通のジムでの運動はそうでもないが、
短時間でいくつかの運動を行うサーキットTは本当に苦しい。
心拍数が上がるのがわかる。
旅に出ると決めた3ヶ月前から2.5ヶ月ほどジムに通って体を鍛えた。
体重も10キロ減った。ゴルフもうまくなった。
腹筋は割れ、胸板もついてきた。
ボクシングも始めた。といっても、4回ほどで行かなくなった。
旅に出る前の仕事に追われ行かなくなってしまった。
ボクシングはとても良かった。黙々と、ひたすら、トレーニングする。
来ている若者の全てがチャンピオンを目指していた。
おじさん何しに来ているの?そんな目で見られた。
ひたすら夢を追う。しかし、夢は叶わない。
仮にかなったとしてもその後の生活の方が長く。
チャンピオンになっても生活は苦しい。それが分かっていても皆頑張る。
チャンピオンになれない人間が99%。
それでも、夢を信じ自分を信じ訓練を重ねる。
すぐに、限界を知る。ジムに来なくなる。楽なアルバイトや、ナンパに逃げる。
逃げないまでも普通にフリーターになる。
俺はそこまで真剣にボクシングを行っていないので、
いろいろいう資格はない。
サーキットTを行うと脱力感に見舞われる。何もしたくない。
腕が重い。呼吸が苦しい。
なにも考えたくなくなる。
しかし、少し時間をおくと自分の体が力強くなった感じを覚える。
充実感がある。これは何なのか。
ジムに通っているときは、追い詰めてやるという感じではなく、
かっこよくなりたいからやっていた。
ゴルフもかっこよくなりたいから。
ボクシングも。
俺が体を鍛え始めてから、妻はまた冷たい目で見始めた。
昔のぽっちゃりしたお父さんが良かった・・・という。
今の鍛えた体はかっこよくない。いったいその体を誰に見せたいの?
そうなのだ、体を鍛え、女に見せたいのだ。
鍛える理由はそれしかない。筋骨隆々とし、胸板を誇示し、腹筋のわれを見せる。
かっこいいー、素敵ーと言われたい。それだけのために鍛えていたのだ。
動機は不純だった。
だから、その動機はすぐに妻には分かった。
たぶん他の人達もそう思っただろう。しかし、それはいけないことか。
動機が不純でも結果的に体が鍛えられれば気力もよみがえる。
女性にもてればやる気も出る。どこがいけないのか。
女にもてたいという感情がおれのすべてをダメにしているのだろうか・・・
人から尊敬されたい。よく思われたい。先生からほめられたい。
大卒の人間を見返してやりたい。
ものすごく強い感情でそう思っている訳ではないと思う。
しかし、根底にはその気持ちがある。
少しでもバカにされると、かーっと頭が熱くなる。
友人や、社員をけなされるとむかつく。
本をけなされても、教材を批判されても頭に来る。
この感情をどうやって抑えればいいのか。
仕事も棄てて、社員も友人も棄て、田舎に帰り細々、工務店を行う。
職人とビールを飲み、馬鹿話をして、ゴルフに行く。
社員旅行で、職員の口を聞く。クレームを受け頭を下げに行く。
どんな家を建てれば売れるか考える。図面を引く。会議を行う。
ニュースレターを書く。チラシを作る。妻毎日過ごす。
毎日何があったのかを語り合う。ドライブに行く。ファミレスでお昼を食べる。
車を磨く。ゴルフの練習をする。たまに東京に遊びに行く。
映画をみる。本屋に行く。ギターを弾く。英会話を学ぶ。支店を出すことを考える。
10億円くらいのビジネスで年収5千万円。
この収入で普通の社長のやりたい事は全部できる。
普通の社長の理想以上の生活だ。
それで、なぜ満足できないのか。このような生活を送ればそれで良いのではないか。
年収2千万円でも、(1千万円ではみっともない)十分な暮らしができる。どうしてそれではいけないのか。妻はその生活を望んでいる。
Xは年収200万の生活をして、早く理想の引退生活を送る方法を教えてくれた。
まったくその通りで素晴らしレポートだ。
贅沢をしてムダなお金を使いっている自分に気がついた。
昔から気がついていたが、
レポートを読んで、毎日のお金を付けていれば、自分がどんなにムダをしているか。
そのお金を有効に使ったら、どんなに素晴らしいことができるか。
書くまでもない。考えるまでもない。
しかし、欲望が先に立ってしまう。自分の快楽を求めてしまう。
ここを何とかしなければならない。
旅から帰り現実に戻れば、今の考えは全て変わってしまうかも、
その不安がある。元に戻り、元の生活をしたらなんのための旅か分からない。
そのくらいなら旅に出ないで、働いていた方が会社や社会のためになる。
自分の存在価値をもっと深く考えたいが、考えたくない気持ちも強い。
どうせ、帰ったらおしまい。また遊んでしまう。それが怖い。
今、少しずつ考えが変わってきている。
無理矢理変えようとしている自分もいる。
自分が変われば、妻や家族、無駄遣いをしなければ、会社のためにもなる。
節約すればお金も貯まる。どうすればいいのか?
今日ホテルに入ったらとても寒かった。
ふるえた。暖房を入れた。カーテンを開けたら、日の光が入ってきた。
暖かい!太陽の暖かさをありがたく感じた。
これから、旅を続ければ、もっと色々な気づきがあると思う。
過酷になればなるほど、一人の時間が長ければ長くなるほど些細なことにありがたさを感じ、
感謝すると思う。
それが怖い。そうなりたくない。
なぜか分からないが、いい人間になりたくない。
自由になにもできなくなる。何でも我慢し、いい人にならなければならない。
それはいやだ。
女性とも遊びたい。
もっと激しいsexもしたい。
会社も大きくしたい。100億稼ぎたい。死ぬときにそれを寄付したい。
海外で仕事もしたい。ベトナムでコーヒー屋をやりたい。
長期滞在ビジネスをやりたい。激しいマーケティングで日本をびっくりさせたい。
銀座で遊ぶ欲望は失せた。
しかし、その他の欲を棄てきれない。まだ、一つしか欲を棄てられない。
結局、本人が死ぬときに良かったと思えるかどうかなのだと思う。
いや、本当にそうだろうか?
きれいに死ぬ必要はあるのか?また、きれいに死ねるかどうかなんて誰にもわからない。
いつ死ぬかもわからないのに。
人間はいつが幸せか分からない。
俺の場合は、50年生きてきて、いつが一番幸せで、
いつが不幸せだったのか考えてみたい。
一番つらかったのは、小学校、中学校の頃だと思う。
住むところは長屋を転々としていた。引っ越しは、いつもリアカーで引っ越しをした。
一番ひどかったのは、4畳くらいの屋根裏に住んでいたときだ。
ネズミが屋根裏をはい回る音、ネズミの糞が寝ている顔に落ちてくる。
ミカン箱での勉強。友達にどこに住んでいるかも言えない。
暗かった。
元気と負けん気は強かった。しかし、惨めな気持ちだった。
住んでいるところを言えない。
バカにされる。当時、長屋に暮らしているのは、俺と、もう一人くらいだった。
生活保護を受け、奨学金をもらい学校に行っていた。
勉強もまったくできなかった。いつもビリから3番だった。
中学に入り先生が替わり少しまともになった。
勉強もできるようになり、スポーツが俄然強くなった。女にももてた。
しかし、長屋暮らしは変わらない。友達も呼べない。
このときのしこりが今でも残っている。夢でも見る。
人の幸せと自分の求める幸せが違う。
どっちを優先したらいいのか?
人のために生きるか。
自分のために生きるか。
そのために、家族の理解をえられなくてもかまわないのか。
家族の生活は歯車が狂ったようになる。どうなるか分からない。
子供達の尊敬は無くし、財産も全部すて、妻も、心を失った廃人になる。
それでも、自分は、自分の好きな道を進んで良いのか?
どう考えても良いわけがない。
まともな人間なら考えるまでもない。
妻と家族をとれば、問題はそこで終わるのだ。
しかし、できない。
50agelife@improbic.com give me your message
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