2009年5月15日金曜日

№11 ストレス

2008/12/26 中国大連

大連に着いた。

疲れた。と同時にまた何も分からない。ここからどうすればいいのか?
言葉が分からないというのは本当にストレスだ。

もう帰りたい。

しかし、1年間行ってくるといってしまった手前帰るわけにはいかない。
憂鬱だ。行く先々で気分が落ち込む。

仁川から大連に着くまでのいきさつを書く。

仁川のホテルを10時に出た。
駅前の食堂でラーメンを食べ、タクシーで第1ターミナルに向かう。
が、タクシーの運ちゃんにまた言葉が通じない。
ファースト、フェリーターミナル!というのだがまったく通じない。

看板を見ていると、バス乗り場の方に行こうとしたので、
あわてて車を止め、違うタクシーに道を聞いた。

すると、「おお、ファーストターミナル」大丈夫、この道だよという。
ファーストターミナルも、フアウストターミナウも同じに聞こえるが発音が違うようだ。

カタカナで書くと確かに違うな。

しかし、一つ一つの行動に躓く。

やっとターミナルに着いた。余裕を見て4時間前に来た
チョット余裕見過ぎだな。

出国場所には俺ともう一組しかいない。
おじさんが荷物を並べているので同じようにそこにおいた。
場所取りをしているのだ。

時間があるのでうろうろし、隅に隠れて腕立て伏せをやった。
別に隠れなくても良いのだが、少し恥ずかしい。

時間が経つにつれ、人がドンドンやってきた。
30分前になったら、待合室は満席になった。

係の人が出てきた。皆並び始めたので俺も並んだ。
係の人がなにやら切符を手に掲げ叫んでいる。なにを言っているのか?

悪い予感がした。

切符をよく見ると、他の人は俺と違う切符を持っている!

なんだ!やばい。俺の順番が来た。

案の定、俺の切符ではダメだ。切符売り場に行き買い直せという。
なんで・・・2番目に並んだのに。
後ろには数えたわけではないが、800人くらいいる。

泣きそうになりながら1回の切符売り場に行った。

これ、と見せると、整理券を持って並べという。冗談でしょう!
ああ、時間は過ぎていくのに・・・並んで待った。
整理券と切符を渡した。新しいチケットをくれた。
こんな事で、いちいち躓く。悔しい。すぐに列の所に戻った。

係の人が覚えてくれていて並ばなくても入れてくれた。ありがたい!
税関を通り船に乗った。
今回は「雑魚寝」というエコノミーだったが、
雑魚寝の部屋は家族が使っていた。俺はベットの部屋だった。

ベットが10くらいあるかな?2段ベット。
カーテンもついている。枕と毛布がある。

これから17時間かー、長いナーともいつつデッキに出た。
船は岸から離れ動き出していた。

この船に乗っているのは、中国人がほとんどのようにみえる。
韓国人も中国人も見分けがつかない。

みな、沢山の荷物を持っている。
同じような服を着て、同じようなバックを持っている。
何かの買い出しなのか。

フェリー代は日本円で9000円くらい。安いな。
とりあえず、腹ごしらえと思い、辛ラーメンを食べた。200円だ。
昨日からラーメンばかりを食べている。

他の食事を注文できない。

日記を書こうと思うのだが、船が揺れて書いていると気持ち悪くなる。
なので、寝ることにした。狭いベットだが、寝る時だけが安心できた。

17時間の船旅が終わり、大連に着いた。
あっという間だった。

ホールに出てみた。
みな、歯を磨いたり、洗濯物をたたんだり、荷物の整理をしたり
忙しそうにしている。

俺も少し急いだ。

船を下り、税関に向かう。
税関無事通れるか・・・また胃が痛くなった。
そわそわする。すると、税関員が俺をにらむ。さらにじっとして入れない、

ああ、税関員が近寄ってくる。逮捕されるのか?なにもしていないのに。
俺は、ただそわそわしていただけじゃないか。

税関員は、俺の前に落ちていたゴミを拾って片付けた。

税関を何事も無く通過。1階におりタクシーを探した。
しかし、探すまでもなく向こうから声をかけてきた。

お兄さん、どこ行く?タクシー、タクシーといっている。

Mrxにいわれたように国際青年旅舎と書いた紙を見せ、ここに行きたいという。
しかし、誰も分からない。10人くらいに声をかけたが分からない。

あーいつもこうだ。どうしてまともに事が運ばないのか?

どこかにはあるのだろうが、小さいバックパカー用のホテルなので分からないのか。

結局運ちゃんの一人が、俺が知っているということで乗せてもらった。
騙されるとまずいと思いタクシー代はいくらだと聞いた。

20元だという。(後で分かったがタクシー代は10元だった。)

倍取られたが、安いので気にならなかった。それではいけないな。
で、着いたところが中国青年旅舎だった。

国際と中国、違うなと思ったがとりあえず入った。

「Can I stay?」

こう話すと、
こいつは日本人だという顔をしてすぐに誰かを呼んだ。

ここは、普通の旅行社だった。
宿泊所ではなかった。


張さんという人が対応してくれた。
国際青年旅舎を探しているといったら、親切に探してくれたが分からない。

本当にわからないのかなー。中国人が知らないわけないでしょう。
じゃあ、なんでMrxはそこへ行けといったんだろうか?

後で調べてわかったが、青年旅舎とは、ユースホステルのことだった。

張さんは、あなたでは探すのは無理だ。今日はホテルに泊まろうといわれた。
心細いのでそうすることにした。結局今日もホテルだ。

どうしてもMrxのいうように動けない。無理かも知れないというあきらめばかり。
俺は根性なしだ。

張さんに、どうやってここに来たのと聞かれたので、
船で来たと言った。ええ?という顔をされた。
船で来る日本人は皆無らしい。

そういえば、フェリーでは日本人は俺一人だった。

とにかく一つ一つがうまくいかない。
何をやるにもどうしよう・・・と不安になる。
言葉ができない。臆病になり知っている英語も出てこない。
英語を話しても中国人は英語を話さない。(ホテルは別)

しかし、前に進むしかない。気楽な気持ちになれない。心臓が痛くなる。

旅の目的は分かっている。しかし、目標がわからない。

どこに行けばいいのか?

何をするのか?


先の分からない道程がこれほどストレスとは。
日本なら日本語が分かるので何の問題もない。何かあれば聞けばいい。
お金がなければすぐにおろせる。ストレスが無いのだ。

今回の旅は自分にストレスをかける旅なのか。

そうではないが今更ながらに自分は楽をして、良い国に住んでいたと思う。 
しかし、こういう苦労をして何になるのか。
Mrxは旅が全てを教えてくれるといった。その通りで色々な事を学べる。
考えることもできる。

考えをもっと深くしていけば、自分の原点にたどり着ける気がする

しかし、それでどうなるのか?いつも同じ考えに戻る

日本に帰ればまた快楽にひたってしまわないか、それが不安だ。

質素に生きる意味、お金の価値
少しだが感じることができた。
これで、もっと深く知っていったら、経験していったらどうなる。

どうせ元に戻るのに、こんな苦労をして何になるのか。
しかし、やってみればやるだけの価値はある。ジレンマを感じる。
常にジレンマだ。

仁川のフェリー乗り場では、
4時間も前に行ったのに、切符が新しくなったので交換してこいといわれる。
一抹の不安はあったが当たってしまった。

幸い係の人が親切で並び直さないで入れてくれたが、
あれで、また最後に並んでいたら、もう旅はあきらめていたと思う。

いつもはビジネスクラスで旅行をするので優先される。

それが優越感だった。

ビジネスクラスに乗るときは、少し悪いな、申し訳ないな、
という気持ちはあった。

しかし俺はビジネスクラスに乗った。
お金を持っている人間が優遇される。俺はそれを望んでいた。

特別扱いして欲しい。優遇してほしい。

それを望んでお金を手に入れたかったのだ。そして実現した。

特別な存在になりたかったのだ。

しかし、自分が外国でビジネスクラスに乗る人達を
横目でみて惨めに行列に並んでいる。
とても惨めな気持ちだ。

しかし、本当に惨めなのか。それを考えたほうがいいように思う。

特別な存在になるために沢山のお金が必要。そのために働く。
これでは本末転倒だ。

質素に生きる。ある程度の生活をする。
今の俺はとても質素には生きられそうもない。

質素に生きたからといって何か良いことがあるのだろうか。

良いことを求めるから何かをするわけではないが。
ガンジーのように生きたり、マザーテレサのように生きたりすることはできない。

1000回死んで生き返っても無理だ。どうすればいいのか?

船の中では1000人以上の人が乗船した。
普通に順番を並んで乗った。
雑魚寝ってどんな感じか?奴隷船の映画を思いだした。

しかし、それほどひどい感じではない。大部屋で20名ほどの人間が寝る。
ここか?!と思ったがその部屋は家族が入っていった。

俺は10個くらいの2段ベットのある部屋だった。
カーテンもついていて思ったよりいい。安心して荷物を置いた。

他の部屋を見に行った。
ほとんど中国人だが、それほど悲壮感はない。当たり前だ。

韓国に買い物に行って、大量に何かを買ってきた。
同部屋の人と話をしようと思ったが誰も話をしない。
みな、ベットに横になり、静かにしている。しかたなく俺もそうした。

横になり考えた。これから1年間本当にやっていけるか。
帰りたい気持ちばかりが強くなる。

今まで一人で生きてきたことが無かったので孤独はこたえる。

本当に寂しい。

なぜ俺は旅をしようと思ったのか。旅は本当に人間を変えるのか。
バックパックをする人間が大成功したという話を聞いたことがない。

もし、孤独の旅をしてそれが人生に何かをもたらすなら、
みなバックパックをやっているはずだ。
しかし、バックパックをして成功した人の話をきいた事がない。

Mrxはやっている。10代の時に経験している。
そして、俺にも一人旅を薦めた。

Mrxを信じているので、
自分がどこまで来出るか分からないがやってみようと思った。
しかし、甘かった。自分の力のなさ、情けない心に嫌気がさしている

税関では心臓が躍るし、タクシーに声をかけられると不安になる。
いう通りできないと目の前が真っ暗になりどうしよう・・・と焦る。

結局、安心なホテルにすぐに泊まってしまう。
もっと探して、暗くなっても何とか探してと思うのだが、
場所を聞いてもチンプンカンプンだし・・・怖いし。

不安ばかりが先に立ちまったく考えが前向きにならない。
俺はこんなに弱い人間だったのか

気分を変えて他のことを考える。

俺はなぜ起業したのか。

それは、勤めていた会社が倒産したからだ。

起業し工務店を作った。
倒産した前の会社のやりかけの仕事を受注することができたので、
順調な滑り出しだった。

絶対に失敗したくなかったので慎重にことを進めた。
こと、ビジネスに関してはとにかく俺は慎重だ。
人にはそう見えないかもしれないが、絶対に失敗したくない。

損が一番怖い。

俺は何をしたいと思ったのか。

とにかく工務店を順調に機能させ借金を返したいと思った。
社員も少しづつ増え、工務店経営はすこぶる順調だった。

会社を辞める時分に神田先生を知り面白い!と思った。
神田先生の教材を買いセミナーに参加した。

神田先生のようになりたいと思った。

それで、パートナーコンサルタントになり、
コンサルトして同じ道を進んでいった。

何をしたいというより神田先生の考えに共感し、
コンサルタントになり、同じようにお金を稼ぎたいと思ったのだ。

幸い、自分も工務店で成功しノウハウがあった。

コンサルでもある程度稼げるようになった。
深く考えていたわけではないが自分が成功し、
その成功した方法を伝えればお金儲けができると思った。

お金を稼いだ後なにをするかは考えていなかった。

実際、今になってもこれから先どうしたいのかよく分からない。
エルハウスは安定して稼いでいる。しかし、田舎には戻りたくない。

インプロビックは色々な形態に分かれてきた。
これをどう持って行ったらいいか迷っている。
今期はある程度行くと思うが将来どうしたいのか分からない。

インプロビックの行く末が一番迷っている。
軸となるビジネスで10年は続けられるビジネスを確立したい。

住宅経営はN社長に任せた。たぶん数億円のビジネスになる。

この旅が終わったら俺は何をすればいいのか。
それを考えるとまったく分からない。

今のままでもなにも問題ない。
エルハウスからインプロから住宅経営から子育て安心住宅から輝点から。
十分の報酬をもらえる。

俺の目標は年収日本一だった。
一人さんを抜きたいと思った。しかし、それもどうなのかよく考えたい。

俺は仕事である程度までは達成できる。
こと、建築に関しては思うようなビジネスができる。
住宅経営も1年目で2億。2年目で8億。
しかし、この後どうすればいい。

どうしても、20億、30億というビジネスにならない。
そのやり方が分からない。

今回の旅で、自分が後5年後10年で何をしたいのか。
何を残したいのか。何をやり遂げたいのか。それとも、なにもしたくないのか?

快楽をすて田舎に帰り、工務店の社長をやるか。

それでもかまわないと思うが、実際にやったとき我慢できるのか。

ガスリーのように、歌に生きる。他の芸人、芸術家のように、
お金ではなく一生をかけて行う何かがあればいいが、俺の場合はビジネスしかない。

しかし、色々なビジネスをやっていて集中していない
あれもこれをやってしまい、最後は収集がつかなくなる。何をすればいいのか。

俺はお金を稼ぐ快感を知ってしまった。

お金を棄てた生活もあるのかもと思い旅に出た。

しかし、自分はビジネスをしたいのだ。
早く引退し、何かをしたいわけではない。

俺はなにをすれば良いのかがわからないのだ。





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