2017年10月22日日曜日

フェアトレード

フェアトレードって聞いた事ありますか?
       
意味は、
フェアトレードとは、開発途上国の
原料や製品を適正な価格で継続的に
購入することにより、立場の弱い開発途上国の
生産者や労働者の生活改善と自立を目指す
「貿易のしくみ」を いいます。です。
   
昨日の夜からフェアトレードという言葉が
浮かんできているんです。
    
全くなぜだか分かりません。
(今回リックをパタゴニア製を
持って行ったからかも知れません)
  
パタゴニアは、フェアトレード商品を販売し
その思想は世界から賞賛されています。
  
その状態であなたとシェアしようとしている
ことも無謀なのかもしれませんが。
   
(何を言いたいのか、
わからないまま、メールをしているので)
    
ふっと思ったのは、最近様々な人の
ブログや記事を読んでいて
    
本当に世の中の流れが変わって
来ているなーと思ったんです。
   
確かに今アメリカで起こっていることが、
大きく影響しているのかもしれませんが。
  
(トランプ政策の)分離がひどくなっている分、
統合の力も大きく動いているのも事実です。
    
自分だけが利益を手にする時代から、
自他ともどもが豊かさが共有できる時代。
   
個々が持つリソースの豊かさを、
遠慮することなく自由に提供し
そして受け取る時代。
   
海外のビジネスもどんどんそんな
ビジネス形態が増えています。
   
シェアエコノミー、
お金に変わる貨幣、ローカルビジネスなど。
  
今回ポートランドでお世話になった、
Uberやエアビーも。
   
一人ひとりが、半径5メートルの
住んでいる世界から幸せにしよう・・・
みたいな(曖昧な表現ですいません)。
   
食べ物に関しても誰が作ってくれているのか、
食の安全は保たれているのか?
   
衣服も作ってくれる人もちゃんと
評価され報酬をもらえているのか・・・とか。
  
そして耳に入ってくる情報も、
検索ですぐに調べられるので、
ちゃんと自分で考える力を奪ってないか・・・とか。
   
情報を通じて他者と比較することで、
自分の評価を上げたり下げたりしていないか?
   
いろいろな意味でオーセンティシティー
(本物であること)が、
どんどん求められているような気がします。
  
私自信はいつも本物でありたいと思っています。
    
物や数で測る豊かさではなく
(もちろん、十分な財政的、
精神的安全が確保されているということが
土台となりますが)
   
「自分」という存在の純度が求められる感じ。
   
今までは頭と心が分離していた時代だったけど、
それが統合されていくような感じです。
   
わかりにくかったらすみません。
   
だから自分に嘘をつけばつくほど、
苦しくなる感じ。
    
(存在の純度の高さを求められるから)
  
SNSでいいねをもらいたいがために
加工したり、盛ったり・・・
嘘をついて罪悪感を持ったり。
   
そして、本当に楽しみ、
ユーモア、気楽さが生み出すエネルギーが、
     
忍耐、我慢が生み出す数倍の新しい
斬新なエネルギーを生み出している。
      
今までの既存の世界にない、
全く新しい物が生まれる感じを覚えます。
  
何をいっているのか、
自分でもまとまらないのですが。
   
目まいがし、このようなイメージが
浮かびました。
  
もしよかったら、意見を聞かせてください。




1 コメント:

タッキーの生きいき粋日記 さんのコメント...

平さん
有難うございます

フェアトレードはもちろん知っていますし、フェアトレード製品も購入していました

それは、フェアトレードの考え方に賛同して、役に立ちたい、という思いもありましたが、それ以上に製品が気に入ったからです

私が購入したのは、エスニックな細身の服と小物です。未だにお気に入りで使っています

考え方が変わって来ている、と書かれていましたが、私は以前より自分さえ良ければ、というのが好きではなかったので、今いちピンとこないですし、回りの人を見ても時代が変わったと思えません

私は、今でも、正直者がバカを見る、を地で行っているところがあり、職場でも雑に扱われています

でも、折角、良い機会を与えて頂きましたので、自分なりに考えてみました

私が小さかった頃は、貧しい方が多かったので(もちろん我が家もです)心あるお金持ちの人は、恵む、ほどこす、をされていたようです ✳タイガーマスクの時代です

その次の時代の、私が社会人になった頃は、ペイフォワードのように、してもらったことを次の誰かにしてあげる、という感じでした

次が、お話のフェアトレードのような気がします

と、考えて行きますと確かに変化して来ていますが、よくよく考えてみましても、やはり人を救うという考え方自体が、傲慢なのではないかと思ってしまいます

それよりも、真に人が望んでいることは、自分で立つ!ことだと思います

私自身で考えてみても、先ずは自身の脚で立ち、ヨチヨチ歩きでも良いので、一歩一歩前に進んで行きたい!と思いますし、その方を選びます。

今回は、考える機会を与えて下さり有難うございました。感謝しております。

滝口健壮