2012年4月8日日曜日

こんな父親になりたいと願っていました。


私を励ましてくれる人と一緒ならなんでもできる。
http://www.youtube.com/watch?v=B9MYoQnfVQU

お父さんの名前はディック息子の名前はリック
リックは生まれるとき、へその緒がクビにしまって


脳に酸素が供給されませんでした。


脳性麻痺と全身麻痺で一人では動けなくなりまた


言葉もしゃべることができません。

リックが生まれて8ヶ月になる時お医者さんは、

「もう彼をあきらめたら」と言いました。

「このままだと多分植物にんげんになるでしょう」と。
しかしお父さんはあきらめられませんでした。
時は流れ、リックはパソコンを使った言葉の教育を受け始めました。


そして「father」「mother」のような簡単な単語を書けるようになりました。
そんなある日リックが初めて自分の想いを打ち込みました。


その言葉は「走りたい。。。」でした。


リックのお父さんは努めていた会社をやめて


彼と一緒に走る事をはじめました。


リックが15歳になった時、はじめてお父さんと

8キロの慈善マラソンに出場することになり
彼らは8キロを走り抜き最後から2番目でゴールしました。

リックはゴールした直後お父さんのディックにこう話しました。
「お父さん、僕生まれてきてはじめて体の障害がなくなったように感じたよ」


彼らは1981年、ボストンマラソンに初出場しましたが
残念、全コースの1/4のところで断念してしまいました。
そしてその翌年、1982年にまたボストンマラソンへ参加。


42,195キロを走り抜く事ができました。


お父さんと息子の記録は2時間40分47秒でした。
マラソンをはじめて4年目、息子はもっと大きな夢を抱くようになります。
その夢はなんと「トライアスロンに出場する事」でした。


しかしお父さんのディックは泳げませんでした。

そして自転車にも子供のとき以来乗ったことはありませんでした。

人々はこういいました。
「いくら頑張ってもそんなことはできるはずがない」
「おかしいんじゃないか?息子をもっと苦しませる事になるのに。。。」

批判と心配の声を浴びながらお父さんは息子のために

すべてをかけてトライアスロンの出場を申し込みました。

競技の当日世界最強の鉄人たちの中でお父さんは
息子の乗っているボートと自分の腰をベルトでつなぎ


3、9キロの海を渡りました。


また息子を乗せた自転車のペダルを踏み

180,2キロの溶岩台地を走り抜き息子の座っている車いすを押しながら

42,195キロのマラソンを完走しました。

息子ができることはただお父さんがひっぱってくれるボートに寝ていたり
お父さんが押してくれる車いすに座っているだけでした。

他のすべての出場者がゴールしてだいぶ遅くなったころ、

お父さんと息子がゴールに近づいてきます。

人々は最後まで残りお父さんと息子を大勢の拍手で向かえました。

息子は言いました。
「お父さんがいなかったら僕はできなかったよ」


お父さんはこう答えました。
「君がいなかったら、私はやらなかったよ。」


トライアスロンは出発してから17時間以内にゴールしなければなりません。
お父さんと息子の記録は16時間14分でした。


お父さんと息子の挑戦は続いて42,195キロのマラソンを完走

64回トライアスロンは完走206回
1982年から2005年までボストンマラソン大会24年間連続完走

それからついに自転車で6000キロのアメリカ大陸を横断しました。


リックは1993年ボストン特殊教育分野コンピューター

選考で学位を習得しました。

リックはパソコンを通して話します。

彼はパソコンで聖書の言葉を伝えました。

I can do everything through HIM who strengthens me.
私を励ましてくれる人と一緒なら、私は何でもできると。

お父さんは私の夢を実現してくれた。
「お父さんは私の翼を支えてくれる風だ」
お父さんは65歳、息子は39歳。


二人はより大きな挑戦のため今日も走っています。




















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