2011年4月12日火曜日

【続】平秀信潰れそうな食堂を救う!

先日の映像のコメントいただきました。
以下について、お返事します。



のっぽさんからのコメント:

初めまして。素敵な動画ありがとうございます。
みんな楽しそうにしてる姿がとても感動的でした。

この動画を見て、昔、沢木耕太郎の「深夜特急」
を読んでいて、物乞いをする子供にお金をあげる
バックパッカーのシーンがあったのを思い出しました。

沢木さんは、物乞いの子供に今、
一時的にお金をあげたところで
根本の解決にはならないという理屈で、
お金を恵んだりしていなかったのですが、

屈託なく物乞いの子供たちと自分のお金を分け合う
バックパッカーの姿を見て、自分の考えが狭く、
つまらないものであると考え直すシーンです。

やりたかったらあげればよい。
自分にできることがあったらやればよい。それは自由だと。


…動画の話に戻ります。


平さんや、廣田さんがいなくなったら
こんなイベントも出来ないしなぁ、

結局は一時のカンフル剤でしかなく、
このカフェの問題の根本解決にはなっていないのかもしれない。

などと考えてしまいました。

このカフェのおばさんにはこれから先の経営上の
アドバイスなどはされたのでしょうか?

そこがとても気になってしまいました。


平の答え:

おっしゃる通りです。

私たちのイベントの後、この店は閉店しました。
この街自体が、過疎化の街で人口が300名しかいません。

昔は、ガソリンスタンドが多数あり、
ドライバー達でにぎわっていたそうですが、
色々問題があり、街は死んでいったそうです。

お母さんは、最後までがんばったのですが、
限界がきたそうです。

このイベントを行ったことで、親戚一同が集まりました。
お母さんに、いままで育ててもらった感謝を述べ、
みなで、抱き合って泣いていました。

「お前達のおかげで皆が集まれた、本当にありがとう」
と、感謝されました。

子供たちは、私がお母さんを引き取る。いや、俺が!
と、お母さんを誰が面倒を見るのかで、取り合いをして
いました。

日本では考えられない光景でした。
お母さんは言いました。

「私はこの街で生まれた。だからこの街で死んでいく」
そして、子供達と、ハグをして、笑顔で別れました。

私たちのやったことは、いいことなのか、悪いことなのかは
わかりません。しかし、目の前に困っている人がいたら、助ける。

知恵を出す。お金を出す.元気を出す。声をかける。

何でも出来ます。
出来ることをやればいいと思います。

結果は、神のみぞ知る。です。

私たちは、震災復興のために、以下のことを行います。
ビジネスマンは、稼ぐしかないのです。

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