2010年5月8日土曜日

ベニーと自由の女神

突然ですがあなたはアメリカの自由の女神がつくられた
きっかけを知っていますか?

知らなければ今日のブログの内容をじっくり読んでみてください。

昔あるところにベニーという青年がいました。

ベニーは印刷所で働いていましたが、
彼は年下の青年たちに印刷の技術を教え、
彼ら一人一人が独立した自分の印刷所を持てるように支援し、

さらには彼らの印刷所に紙やインクを供給することで
彼らと密接な関係を築いていました。

みんなはベニーのことをただの印刷工だと思っていましたが、
彼は類まれなるビジネスマンだったのです。

ベニーはその後、ある会社から実現不可能と思われる
課題を任されることになりました。

彼の雇われた会社は深刻な資金難に見舞われていたのですが、
誰もがその会社はもうダメだ、と思っていたので
資金を融資してくれそうな見込みはありませんでした。

しかし、資金がなければ彼の会社はたちまち潰れてしまうような状況で、
なおかつベニーには相手の利益になるような交換条件が
何もありませんでした。

ただベニーにはある計画がありました。

彼はその課題に関係のある要人が集まる
パーティーにもぐりこんだのです。

そこで彼は要人たちに名刺を配ってまわるのではなく、
その夫人たちとばかり話をしていました。

彼の笑顔と聞き上手な人柄のおかげで、
彼は夫人たちの間でたちまち人気者になりました。

そして彼は毎回様々なパーティーに招かれるようになったのです。

もちろん毎回、男性たちとではなく女性たちとばかり
交流を深めていきました。

ある晩、一人の夫人がベニーにこう聞きました。

「ベニー、今日はもっとあなたが何者なのか、
どこから来たのか教えてちょうだい。」

そこでベニーは初めて、彼女たちに自分が何者なのか、
どんな使命を背負っているのか、そして彼の野望、
夢、信条などを熱意を持って語ったのです。

数日後、なんとベニーは彼の会社が必要な額だけの
融資を得ることに成功したのです。

実はこのベニーという青年はアメリカ合衆国大統領になった
ベンジャミン・フランクリンのことで、
彼の会社というのはアメリカ合衆国のことなのです。

ベンジャミン・フランクリンはアメリカが英国との独立戦争の最中、
フランスから融資を得ることに成功し、
そのおかげでアメリカは独立した国家になることができたのです。

そしてニューヨークにある自由の女神は、
アメリカ独立100周年を記念して、
かつてアメリカにお金を融通してくれたフランスから
贈られたものだったのです。

もしベニーことベンジャミン・フランクリンがいなければ
今のアメリカはなかったでしょう。

そしてもし彼が最初から真正面からフランスの要人たちに
話を切り出していたら、果たして彼は
資金を得ることができていたでしょうか。

私はそうは思いません。

彼は卓越した政治家であると同時に、
稀代のビジネスマンであり、
どのような方法を用いれば交渉を成立させることが可能になるか、
ということを心得ていたのです。

彼が行った交渉の仕方は、
現代でも様々な場面で応用ができると思います。

重要なことは、「最初から本題を持ち出さない」ということです。

あなたがお客様に売りたい商品があったとしても、
それを最初から見せてしまっては売れる商品も売れません。

そうではなくてまず相手と他の話題で信頼関係を築く。

そして確実な信頼が築けてから売り込みをかける。

ベニーの場合、女性たちに最初に話を持ちかけた、
というのも効果的な判断だったと思います。

なぜなら概して男性よりも女性の方が感情に
よって動かされやすい、という点と、

どんなに偉い政府の要人も自分の奥方の意見には弱い、
という可能性があるからです。

もちろんこれと全く同じ状況というのは滅多にありませんが、
大事なことは「セールスの筋道を立てる」ということです。

いつ、誰に、どのようなセールスをしていくのか、

このプランを綿密に決めることがどのような場合においても、
ビジネスを成功させるために必用不可欠な条件だと思うのです。

このお話から学べることは多いと思います。

これからあなたが自由の女神を直接見たり、
それについての話を耳に入れることがあれば、

そのたびにアメリカ建国にまつわるこのお話とベニーの卓越した交渉術、
これらのことを思い出すようにしておいてください。

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