2009年6月12日金曜日

興味深い番組 生きる意味

【感想メール】

興味深い番組があったので見てみた。

番組のテーマは
「障害とは何か?」「生きる意味」や「生きる価値とは何か」

以上を全盲ろうで日本初の大学教授になった福島智教授と
爆笑問題の太田と田中が議論を交わすという内容。

まずはじめに、「障害」とは?ということで
はじまったが、福島教授は「障害者」という
くくりで見られることへのバリアーが障害になって
いるということで「障害学」というものを研究して
いると語りはじめた。

これに対して、爆笑問題の太田は、
「障害者であることで、その人しか感じられない、
そしてその人しか表現できないことがあることを
考えると、自分たちは何なんだ?と感じてしまう」
(スティービーワンダーやホーキング博士のことを
例の話に出していました)と語った。

これに対しての福島教授の返答がずばり、
「それは太田さんは、どちらも選択できるから
思えることです」と答えたのだった。

上記の問題に入る前のオープニングで、
こんな言葉がテロップで出た。


「私は目が見えない、耳が聞こえない」

「私は彼らの姿も見たことがないし、漫才も
トークも聞いたことがない」

「しかし、私も彼らも『言葉』を武器に生きている」


このオープニングの言葉通り、「障害」について
爆笑問題も福島教授も、自分の思ったことをズバズバ話し、
非常にストレートなことを言い合っているというところに
俺は入り込んでいった。

福島教授は、見えない、聞こえないということで、
「指点字」というものの通訳を常に2人、帯同させて
相手の言葉を同時通訳してもらっている。

実は、この「指点字」というのは、福島教授の母親が
作ったという。

指をキーボードに見立てて、通訳が福島教授の指を
キーを打つようにして言葉を伝えるのだ。

このことに対しても爆笑問題の太田は、触れ合うことによって
健常者同士が会話するよりも、深い会話になるのではないか、
と質問した。

これに対して福島教授は、これも太田さんは
どちらも選択できるから、そう思うとズバリ言い切った。

これには太田は、「なるほど」という顔で聞いていた。


次に「生きる意味とは?価値とは?」ということで話をした。

「障害者は生きる意味、価値はあるのか?」という質問に
太田は、「自分自身も生きてる意味は何なんだ?って
行き詰る方だから分からないな・・・」と返答した。

で、福島教授は、「太田さんは何で生きてるの?」と聞く。
太田はかなり考えてから、

「楽しい瞬間があるから・・・幸福と思える瞬間がどれだけ
あるか・・・ということを考えていることが生きている意味かな・
・」

と答える。

福島教授が、全盲ろうになって辛かったのは、
集団の中にいても、孤独になり誰とも共有できない
ことだったと言う。

しかし、18歳のときに母親が「指点字」を作り、
人とコミュニケーションが取れるようになったことによって
希望が出てきた。

そして、辛いことやしんどいことがあっても、すべての人は
度合いや形が違うにしろ、これらのことは誰にでもあるんだと
思えるようになったという。

そして、
「ある時から、しんどい経験をしたときに、辛さ、苦脳にも
何か意味があるんじゃないかなと思うことにしよう」

と考え始めたときに、このような同じことを考えている人は
たくさんいるということを本などで知り、生きる意味という
ことに興味を持ち始め考えるようになった。

その中でも、ユダヤ人であることからナチスによって
アウシュビッツ収容所に送られたヴィクトール・E・フランクル
という人が言う以下の公式に出会ったことが大きかったと言う。


 絶望=苦脳-意味 ということは 絶望+意味=苦脳

 この公式からすれば、苦脳と絶望は違うんだ!


意味を見いだせれば、それは絶望ではない、ということに
気がつき、「生きる意味、そして価値」というものに注目する
ことができるようになったという。

これに対して、太田は、

「では今が福島教授は一番幸福ですか?」と聞いた。

これに対して、福島教授は、

「そうですね、今が一番幸福です。そりゃー9歳までの
目が見えて、耳が聞こえたときも幸せだったかもしれないけど
その時には、その時なりの不安やしんどいことがあったはずだし、
今もしんどいことはたくさんあるが、そこに意味を見出し、克服する
ことで幸せを感じることができるようになった。
しんどいから面白い、気持よくてトランス状態で死んでいくのは
決して幸せではないと思うのですよ」

と答えました。

このような感じで番組は終わったが、俺の感想としては、
一言でいうと、

どんな人も、どんな人生にも「意味を見出す」ということを
考えていれば、幸せになることはできる

そして、それは決して孤独なことではなく、あらゆる人との
コミュニケーションがあり、言葉を交わし、考えさせられる

そこに障害者も健常者もない・・・といことを考えるのは
その人が考えだす「意味」によるもの

客観的に考えるのも、悲観的に考えるのも「意味がある」
と考えれば、毒にも薬にもなる

「生きる意味」や「生きる価値」はすでにあるものではなく
自ら「見出す」もの

こんなことを感じたのだった。

あなたは「生きる意味」そして「生きている価値」など
考えてみたことはあるか?

なければ、考えてみることを進める。


生きる意味を考えるブログ、紹介しておきます。
あなたの投稿もお待ちしています。



http://ikiruimikathi.blogspot.com/

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