2009年6月29日月曜日

マレーシアで頑張る日本人

帰ってきました。

今回は、マレーシアで頑張る企業家を訪ねてきた。
彼の名前は阿部さんという。マレーシア在住15年。

現地のローカルチャイニーズと起業し会社を作った。
メインは建設業だ。
そのほかに、海藻ビジネス、下着ビジネス、LEDビジネスなど

さまざまなビジネスに挑戦している。

今回、ミリという町で新規店舗のオープニングセレモニーがあるというので
それを見学に行ってきた。

すでに、数店舗を展開し、いま首都のKLに大きな店舗を建設中だ。
11月にオープンするという。

海外で積極的にビジネスを展開している人を見ると
勇気が湧いてくる。ぜひ成功してほしい。

しかし、ここまで来るのは簡単でなかったという。
友人の破産の経験、だまされる経験、とにかく人に言えない
経験を何度も繰り返し、やっとたどり着いたのだ。

ビジネスは簡単ではない。しかし、やりがいも楽しさもある。
成功したときの報酬も大きい。

私も友人たちと数種類のビジネスを行っているが、
程何もしないで、毎年、6千万円ほど収入がある。
だから旅をしていられる。

これも投資の一種だが、このブログはお金儲けの事を
書きたくないので、この辺しておくが、

海外で頑張っている日本人がいる。ということを
少しだけ頭の片隅に置いておいてほしい。

彼らの成功を祈る。



尊敬するリチャードブランソンをまねしていますが、まだまだだな。

2009年6月22日月曜日

結局

思い出すとおかしいやら、悲しいやら・・・

書くのも精神的に疲れたので食中毒事件は今日で終わりにする。

その夜

結局、痛みやら、心配やらで眠れなくなった。
それ以上に不眠になった理由が二つある。

理由その1 画像

夢を見るというのではなく4枚のピクチャーが現れた。
とにかく鮮明で、ここまでの絵をいまだかってみたことはない。

病院だからかな?霊が描いているのかな?

1枚が、3-4名の人が白い服を着て横たわっている。
モード系の写真みたいな感じ。

1枚が、小学3年生くらいの男女の制服姿。赤と青の制服。

後2枚が、思い出さない。

とにかく鮮明。しかし、みな首から上がない。つまり顔が見えない。
なぜだろうか?

その絵を目をつむりづっと見ていた。

その後、質問が湧いてきた。

「いまなにやってるの?」

寝てる。

「いまなにやってるの?」

ん?これ、どこかで聞いたセリフだな。
帰宅するまでどうしても思いださなかなった。

しかし、帰ってきて、twittrを始めたら、あ、これか。
と思いだした。

いまなにやってるの?という質問がその後朝9時ころまで繰り返された。
そして、それに答えると寝汗で起きる。なんて答えたかわからない。

答えないと、ひどい目にあう。

答えないと、体が金縛りあい、全く動けない。
そこに、ホモが現れて俺に寄り添う。

俺はやめてくれ、助けてくれと叫ぶが声にならない。
1ミリも体が動かない。

わかった、言うから。いま、新刊のこと考えてた。
そう答えると、金縛りが解ける。

しばらくすると、また、いま何しているの?という質問。

無視していると、また、ホモが現れる。
勘弁してください。俺が何をしたっていうんですか?

ホモは笑うばかりで、俺のパンツの中に手を入れてくる。
触っても無理です。今体力ないですから。立ちません。

役に立ちませんから、消えてください。

ホモは、微笑みながら、自分のパンツを脱ぎだした。

後ろを向いたまま、体がしびれ何もできない。

俺は、質問に答えた。もうじきマレーシアを出ます。

ホモは消えた。

結局朝まで自問自答。こんな経験は初めてだった。

絶対にこの病院は何かいる。

しかし、次の日の夜は何も現れない。俺の神経が弱っていただけなのかもしれない。

二日目

この日は、体力と気力が戻ってきた。
ナースをからかい始めた。

すみません、熱がありますか?
ナース手を頭に当てる。
じっと見つめ目をそらさない。

ナースの顔が赤くなる。

あなたはきれいですね。

ナースはさらに赤くなり小走りで消えた。
(色の黒い、体重82キロくらいのナース)

次のナースが来た。

俺知っている?ブラッドピット。

ぶー(笑)ナースは大笑いして、話しながら消えた。

次のナース。

ねえ、俺のウンコ知らない?

爆笑、

次のナース。

いまなにしているの?

お仕事(笑顔)

まあ、こんな感じで、来るナース来るナース、はじから
声をかけて行った。動くtwitterという感じ。

結構それが面白く、ナースも、俺の部屋に入ってくるともう笑って
仕事にならない。ぐっ。むっ。と笑いをこらえながら仕事をする。

俺は、急におなかを出してみたり、シンクロのまねをしたり、
歌を歌ったり、ウインクしたり、早口言葉をやったり・・・

ナースが、面白がって用もないのに俺の部屋に来る。

部屋はいつも賑わっていた。

その日の夜は、眠れないので、スターチャンネルの映画を見ていた。

なぜ寝れなかったのかというと、これも理解できないのだが、

点滴を機械を使って落としている。その機会のモーター音がうるさいのだ。
ブーブーツーツードウドウブー、こんな、あのハトの鳴き声が
機械音になった感じ。

寝れるわけがない。一度クレームを言った。すると、ナースは
すいません。と、その機械をベットから30センチ遠ざけた。

俺はそれを見て、すべてをあきらめた。そして映画を見ることにした。

次の日の朝。

退院となった。

定員の手続きで、3回ほど悶着があったが、これも言葉の壁があるので
仕方がない。それが海外での生活なのだ。

しかし、最後の最後。支払いの時に、1時間以上待たされた。
言っても無駄とはわかっているが、後の日本人がなめられると困るので、
クレームを言った。

あなたは、どうして私をこんなに待たせたのですか?
書類はできていたではないですか?

いえ、AIUとやり取りをしていて・・・

ここから日本語で、
「嘘を言うな。これはここでずっとあなたを見ていた。
俺の書類をそこに置き、次の人、次の人と処理していた。

なめんじゃないよ。なぜ、俺を無視したか、きちんと説明しろ。
なぜ、俺を待たせたのだ」

また、言い訳が始まった。俺はずっと女をにらみ続け文句を言った。
お客がたまってきた。俺は知らん顔で、わかるまで何度も説明させた。

ジャパニーズスタッフを呼べ。
彼女は今忙しい。
では、わかるように説明しろ。

てなことを、その日は時間が有り余っていたのでずっとやっていた。
3か月前の俺なら、sorryと、こちらが謝り1分で方がつく。

話せないし、度胸もないし、どうしていいかわからないし。

しかし、それは嫌だった。

おれもクレーマーではないので、理解できればそれでいい。
なめられなければそれでいいのだ。

15分ほどやり取りをして、俺は納得した。

その後
タクシーに乗りサービスアパートメントに戻った。

これが、食中毒事件の顛末だ。
最後ははしょってしまった。

明日から、また、いいことがあるといいな。

2009年6月21日日曜日

ナースと3Pその3

担当ナースの十数人いや、数十人の方が正しい。

薄ピンクの制服が学生。真ピンクが看護婦。
これが入り乱れて、毎回違う人間が、

血圧、体温、シーツ使え、点滴変え、聞き取りなどを
行う。

俺は一番心配したのが、点滴を間違えること。
もしかしたら、死にそうなおばあさんのものじゃないかとか、

本当にその量で大丈夫か?
本当に俺の点滴か?

どこにもその証拠がない。

点滴はなんでも一緒なのかな?
食塩水だっけ?

でも、皆同じってことはない。
がんの人の点滴と下痢の人の点滴が同じはずはない。

どうか間違えないでね。神様お願い。

普段は、仏壇をカタログ置き場、クロスを手裏剣代わりに遊んでいる俺も
この時ばかりは、神に祈った。

その祈りは通じた。

しっかり者の看護婦が、この人手首に認証を付けていないわ。
駄目じゃない。誰が担当なの?と一緒にいた学生に聞いた。

二人は、知らないと首を振る。

あなたが担当になって頂戴!と私はさらに祈った。

しっかり者は、自分で認証を作ってきて、私の手首にはめた。
その後、それを確認し、点滴の交換などがされた。

初めからしてくださいよーお願いしますよー

半泣きになりながら、心の中でお願いした。

その夜つまり、初日の夜

なにやら、顔が冷たい。その冷たさで俺は起きた。
腹痛は少し和らいでいた。しかし、下痢は相変わらず。

寝ぼけた目で、点滴の腕を見た。うっすら赤い。
あれ、点滴が漏れたのかな?と思い、起き上った。

げ!血の海。

手首の周りのシーツ、枕カバーが血の赤で染まっていた。

あちゃー、不安は的中した。

ちなみに、今まで、テストの山感、この女はいい人だ(商売)という
予測は的中したことはなかった。

どうして不安だけが的中するのか。
俺は、ナースコールを押した。

しばらくして「どうしました?」とナース。

俺は、これ見てください。と指さす。

「まあ、ひどい、あなたかにかしたんですか?!」

勘弁してください。点滴の管が外れているじゃないですか。
これ?

と、点滴の外れた管を見せた。

「あなたが取ったんですか?」

なんで俺がわざわざ点滴の管をとらなきゃいけないの。
もう、何とかしてください。

ナースは、すぐにシーツを交換、そして点滴の管をつないだ。

「OK?」

なんで、俺に聞くの?自分で漏れているか確認してから帰ってください。

案の定、ナースが帰ったら、また管が外れ、漏れてきた。
またナースコール。

ナースやってくる。

管またさす。

俺、疲れる。

なぜか、中国式の書き方になってしまった。

こんな深夜劇だった。

ナースと3Pその2

かなり復活した。まだおなかはピイーゴロいうが。

昨日は病院に行くまでを話したっけ?

食中毒になると、とにかく下痢が凄い。
立った瞬間に、ウンコが漏れる。

あーまただ。トイレまで肛門を絞められない。
肛門のわずかな隙間から洩れてしまうのだ。

例えると、おしっこがお尻から出る感じ。わかるかな?

もう少し詳細に説明すると・・・必要ないか。

俺は、最後のパンツに着替え、お気にいりのGパンをはき、
(1本しか持っていないが)
イブサンローランの皮のバックを持ち病院に向かった。

?ブランドは捨てたのではないのか?

そうなのだが、実はこのバックのみ買ってしまった。
それまでは、無印良品のビニール製のものを使っていた。

しかし、リチャードブランソンは無印のバックは持たないな。
と勝手に判断し、買ってしまった。

はっきり言うと、かっこつけ費を使ってしまったってこと。
しかし、家計簿に記録しても不思議と後悔はなかった。

マレーシアはブランドが世界一安い。
知らなかっただろう。

しかも、この時期、なんとブランドの半額セールが始まる。
万年夏なのに、どうして、夏物セールがあるのか?

フランクミューラーも半額!最新のファッション雑誌に出ていた
ルーレット式の400万円の時計が200万円。ビックりだよ。

で、俺が買ったバックは、日本で買うと28万円くらいかな?
それが、マレーシアでは普通の10-20%安い。

その半額。15万円くらいだったかな?安い!欲しい!売った!
という勢いで買ってしまったのだ。

シャネルも、グッチも、ルイビトンも同じ。しかも、物の種類が
日本の2倍はある。日本しか知らないとほんと損するね。

話を戻して、

タクシーに乗って病院に向かった。
近いと思った病院が、全く遠くにあり、30分以上はタクシーに乗った。

病院は大きな総合病院だった。

俺は、何とか漏らさないように、内またで歩きながら受付を探した。
すぐに見つかった。

しかし、何と説明したらいいかわからない。
とりあえず、アイアムジャパニーズ、アイアムシック、プリーズコール
ジャパニーズスタッフと言った。

すぐに理解してくれて佐藤さんという男性が出た。
佐藤さんは、緊急をすぐに理解してくれて、2階の受付で
受付をして、209に受付用紙を出して待てという。

俺は言われた通り、2階の受付に行った。
受付という単語がわからないので、おなかが痛い。お願い。
と言ったら、209へ行けという。

209の受付にいったら、そこの受付で書類をもらってもう一度来いという。

くそーどっちなんだ。その間もヒア汗タラタラ、おなかきりきり、内また状態なのだ。

俺は頭にきて、受付の女に、ドキュメントくれと言った。
女はふてくされて、俺がなぜか手にしていた書類をとり、そこへ記入しろという。

え?最初から俺はこれをもっていたの?
1階の受付でもらったやつ。

この女はバカか、それとも、不親切なのか?

とにかく、病院内ではずっとこの調子だった。
悪気はないのかもしれないが、想像力と親切心がかける。

でも、日本でも外国人に関してそうなんだろうな。

書類は、わかるところを書いて209の受付に提出した。

10分ほど待つと佐藤さんが現れた。
しかし、男だと思っていたら女だった。げ、この声で女か・・・

変な声ではなく、宝塚の男役のような声。

佐藤さんはとても親切にしてくれた。
すぐに治療を受ける。

先生は、一目見て、これは駄目だな。もうすぐ死ぬなといった。

えーそんなに脱水ってひどいの!と思ったら、
前の患者のことだった。

点滴して2,3日入院しましょう、ということになった。
助かったー。点滴して、帰れと言われたらどうしようと思っていた。

とても帰る体力は残っていなかった。

治療室で1本点滴を打ち、病室に向かった。
俺は、歯ぎしりがひどい、うなされて叫ぶ、夜歩きをするなど
適当な嘘を並べ、周りが迷惑するので、個室にしてほしいと頼んでおいた。

こういうずる賢さは持ち合わせている。

個室だった。ラッキー!と思いたいが、それどころではなく、
腹痛は治まっていなかった。

ベットに横になった。5分ほどするとナースが2名できた。
ハーイ・・と弱弱しくあいさつ。体温、血圧を調べて帰った。

その5分後、別の看護婦二人組。何かを記入する用紙を持って来た。
言われるままにサインした。

その3分後、4人くらいの制服の色の違うナースが意味もなく
やってきて、食っちゃべって帰って行った。

その直後、かなりしっかりした感じのナース2名が、説明、点滴新規
などをしていった。

この病院はどうなているのだ。一人の患者に10人のナースが付くのか?
実は次の日さらに、ナースの数は増し、来るたびに顔を見たことがない
看護婦ばかり。

2泊3日の入院のうち、おびただしい数の看護婦、掃除人、食事係、お茶係
が出入りしたのだった。

おれは、絶対に誰かが何かをしでかすと確信した。
この数で、まともに伝達ができるわけがないと思った。

2009年6月20日土曜日

ナースと3P

久しぶりに参った。

ブログとtwitterがとだえ、
また、平さんは離島へ遊びに行ったのか・・・いい加減だなー
そう思ったかも知れない。そう思われるのが一番嫌なので、
何とかしたいと思ったが、体が動かない。

ああ、ここまで打つのも大変。打ち間違える。
何を書いているのかわからなくなる。

手も体もだるい。力が入らない。

集中力が続かない。

おなかも空いた。しかし、食べれない。
6日間で体重は6キロ減った。

どうしてもダイエットできなかった理想の体重64キロになった。
しかし、苦しい。

食中毒。これをやってしまった。

今が何日か、何曜日かもわからない。
昼なのか夜なのか、それはないな、明るいから昼だ。


話は6日ほど前に遡る。

6日前:

夕飯を6時ころ食べた。中華風ラーメン、260円。うまい。
その後、デザート代わりに、ゴディバのシエクを一気飲み。

これは、スタバにはない感触と重量感。

10分ほど散歩して、家に帰る。
家で、ウイスキーのロックを作り2杯飲む。

おつまみの豆を食べる。やめられない止まらない。
小さな袋をきっては口入れ、きっては口に入れる。

本を読む。夢中になる。

何かおなかがおかしくなってきた?

変だなー。トイレに行く。少したつ。またトイレに行きたくなる。

おなかがきりきり痛み出してきた。
おなかが冷えたのかなと思い、ベットで丸くなり様子をみる。

しかし、時間とともに痛みがどんどん強くなる。

ヒア汗が出てくる。

おなかがごろごろなる。

俺の脳裏に、食中毒、の3文字が浮かぶ。

この言葉だけは、思い出すまいと思っていた言葉。

俺にとっては、短小、包茎、早打ち、役立たず、のことばより
つらい経験があるからだ。

この症状、この感じ、過去に一度経験した。
その時は、イカに当たった。ある居酒屋。

「このイカ黒いなー、古くねーか」
「何言ってんの、イカは黒いんもんだよ」

ほかのやつはイカに手をつけなかった。

しかし、イカに目がない俺は皆の分まで平らげた。
その結果俺だけが食中毒。

その時は、病院までたどり着けないで、車から投げ出され、路上で
のたうちまわった。苦しくて目が開けられなくて運転できないのだ。

下からうんこ、口からげろ。
周りは女子高生。

「何この人、きたねー」
「わー。いやだー」

なんにやってんだ、助けてくれ、苦しいんだ!
救急車呼んでくれ。女子高生はなにもしてくれなかった。

俺はのたうちまわった。そのうち、妻が駆けつけてくれ
病院に行った。

その時の恨みか、
女子高生をみるとなぜかうんこをぶつけ汚したくなる。

もしも、飯田橋でそういう事件が起きたら
間違いなく俺が犯人だ。

深夜

迷った。病院に行くか行くまいか・・・病院を探す力もでない。
行ってもまともに口は利けない。

トイレは生き行きっきり。立つだけで、水のような便が漏れる。
着替えるパンツがなくなってきた。

トイレットペーパーをおむつのように折り紙風に作ろうとするがうまくいかない。

なぜかミスタービーンを思い出した。

結局、トイレットペーパーをパンツに敷き汚れたパンツをはいた。

トイレから戻り、布団に入ろうと思ったら、布団が黄色い。

まずい!ホテルの布団を汚してしまった。

おねしょならまだしも、あのお客、うん子をもらしやがった。
と噂にされたら生きていけない。

「あなたの職業はなんですか」
「私は働いていません。ただの旅人です」

そう、クールに決めていたのに、ただのうんこもらしやローになってしまう。

俺は恐怖のどん底に落ちて行った。

が、すぐに気を取り直し、苦し身を我慢し、なべに水を汲み、ベットに持ってきた。
そして、タオルで拭こうとしたら、

手が滑り、鍋をひっくり返してしまった。

まずい、被害がさらに大きくなった。

おなかはさらに苦しく痛む。

しかし、ベットのぬれたのを何とかしなければならない。
すぐに、バスタオルで水を拭き取った。

しかし、ぬれている。明日までに乾くか・・・
不安だ。俺はドライヤーをかけることにした。

そんなことに集中していたら、おなかの激痛を忘れてきた。
夢中で、敷布団を乾かした。結局シミは残った。

脱力感と、腹痛でしにそうになってきた。

痛い、痛い、俺は正露丸を飲んだ。しかし、効かない。
ガスターテンを飲んだ。効かない。この際だと思い、ばふぁリンも飲んだ。

トイレ、よたよた歩き、お尻の穴が痛い。ピーピー、パンツ脱ぐ、ビービー
水を飲む。おなか痛い。この繰り返しで、夜が明けた。

9時まで我慢し、タクシーで日本語の話せる病院を探し、行った。

しかし、本当の悪夢はまだ始まったばかりだった。

だめだー力だでない。後でまた書く。

2009年6月15日月曜日

アメリカの友人カメラマン、日本の職人を撮る


第2の人生についてなかなか書けない。

書けない。どうしてもかっこつけて書こうとする。
少しでも役に立つものと考えてしまう。

俺のおごりだな。
今日こそ書く。その前に、

俺の友人でカメラマンがいる。
ニューヨークに住んでいる。名前はジエスパー。36才。頭は薄い。

なんで外人は若くして禿げるのかな?

俺は、抜きたいくらい髪の毛の量が多い。
スーパーシエイクを飲み始めてから、体が変わった。

1.朝立ちが激しい。カチカチ。1.2倍大きい。
思わず、朝握りしめている。勇気づけられる。

2.髪の毛の量が増えた。

3.若返った。

これは、旅の影響もあるのか、会う人皆に、平さん若返ってますねー
といわれる。

俺自身は毎日鏡を見ているので、感じないが、みながそういうので、
たぶん、間違いなく若返っていると思う。

とても50歳には見えないそうだ。

4.身長が伸びた。

5.体脂肪が15%になった。

6.記憶力が戻った。

7.集中力が増した。

俺は昔から集中力があるほうだが、ちなみに、年老いた母親を
スーパーに忘れてくるくらい集中する。

集中の度合いは、さまざまだが、ZONE に入るというレベルに来た。
それでも、25分ほどしかZONEに入れないが、この25分間は、1日の
3時間に相当する。

ZONEの入り方については、俺自身どうやるのかわからない。
自然にできるので。これについては、俺の弟子の一人に教えているので
そいつが、細かい理論をまとめている。なので、いつか教えたい。

ZONEの使い方をマスターしたら、
とにかく1日の仕事を25分でほぼ終わらせることができるので、

あとの時間を有効に使えるというか、余裕を持って仕事ができる。

たくさんの人にメールをいただくが、とにかくみな余裕がない。
余裕がないので、判断を誤りいい方向に進まない。

判断を誤ると大変なことになる。

あの、リッツカールトンがバリで問題を起こし裁判で負けた。
10億円もの賠償金を支払った。

あの、リッツカールトンが・・・

ちなみに、リッツカールトンってとっくに他企業に買収されていたんだね。
ビックリだよ。

リッツと戦ったバリのホテルオーナーはすごい。
彼は、リッツを別れ、リッツの創業者と手を組んだ。

なぜ、なぜ彼と手を組んだか聞かれた。

「信頼できるからです。儲かる儲からないは2の次です。」

と答えている。

ビジネスは、信頼関係が第1。ウォーレンバフェットも同じことを言っている。

バフェットのシエイクハンド契約は有名だ。

俺もそうありたい。

Mrxとビジネスを始める時も、信頼できるかどうか?
その1点しか考えなかった。

そして、情報ビジネスの1時代を築いた。

あ、話は全く違う。

友人のカメラマンが日本の職人を撮影した。
素晴らしい写真ばかりだ。

視点が違うので新鮮だ。

外人の視点、英語の視点。この辺学びたいところだな。

2009年6月12日金曜日

興味深い番組 生きる意味

【感想メール】

興味深い番組があったので見てみた。

番組のテーマは
「障害とは何か?」「生きる意味」や「生きる価値とは何か」

以上を全盲ろうで日本初の大学教授になった福島智教授と
爆笑問題の太田と田中が議論を交わすという内容。

まずはじめに、「障害」とは?ということで
はじまったが、福島教授は「障害者」という
くくりで見られることへのバリアーが障害になって
いるということで「障害学」というものを研究して
いると語りはじめた。

これに対して、爆笑問題の太田は、
「障害者であることで、その人しか感じられない、
そしてその人しか表現できないことがあることを
考えると、自分たちは何なんだ?と感じてしまう」
(スティービーワンダーやホーキング博士のことを
例の話に出していました)と語った。

これに対しての福島教授の返答がずばり、
「それは太田さんは、どちらも選択できるから
思えることです」と答えたのだった。

上記の問題に入る前のオープニングで、
こんな言葉がテロップで出た。


「私は目が見えない、耳が聞こえない」

「私は彼らの姿も見たことがないし、漫才も
トークも聞いたことがない」

「しかし、私も彼らも『言葉』を武器に生きている」


このオープニングの言葉通り、「障害」について
爆笑問題も福島教授も、自分の思ったことをズバズバ話し、
非常にストレートなことを言い合っているというところに
俺は入り込んでいった。

福島教授は、見えない、聞こえないということで、
「指点字」というものの通訳を常に2人、帯同させて
相手の言葉を同時通訳してもらっている。

実は、この「指点字」というのは、福島教授の母親が
作ったという。

指をキーボードに見立てて、通訳が福島教授の指を
キーを打つようにして言葉を伝えるのだ。

このことに対しても爆笑問題の太田は、触れ合うことによって
健常者同士が会話するよりも、深い会話になるのではないか、
と質問した。

これに対して福島教授は、これも太田さんは
どちらも選択できるから、そう思うとズバリ言い切った。

これには太田は、「なるほど」という顔で聞いていた。


次に「生きる意味とは?価値とは?」ということで話をした。

「障害者は生きる意味、価値はあるのか?」という質問に
太田は、「自分自身も生きてる意味は何なんだ?って
行き詰る方だから分からないな・・・」と返答した。

で、福島教授は、「太田さんは何で生きてるの?」と聞く。
太田はかなり考えてから、

「楽しい瞬間があるから・・・幸福と思える瞬間がどれだけ
あるか・・・ということを考えていることが生きている意味かな・
・」

と答える。

福島教授が、全盲ろうになって辛かったのは、
集団の中にいても、孤独になり誰とも共有できない
ことだったと言う。

しかし、18歳のときに母親が「指点字」を作り、
人とコミュニケーションが取れるようになったことによって
希望が出てきた。

そして、辛いことやしんどいことがあっても、すべての人は
度合いや形が違うにしろ、これらのことは誰にでもあるんだと
思えるようになったという。

そして、
「ある時から、しんどい経験をしたときに、辛さ、苦脳にも
何か意味があるんじゃないかなと思うことにしよう」

と考え始めたときに、このような同じことを考えている人は
たくさんいるということを本などで知り、生きる意味という
ことに興味を持ち始め考えるようになった。

その中でも、ユダヤ人であることからナチスによって
アウシュビッツ収容所に送られたヴィクトール・E・フランクル
という人が言う以下の公式に出会ったことが大きかったと言う。


 絶望=苦脳-意味 ということは 絶望+意味=苦脳

 この公式からすれば、苦脳と絶望は違うんだ!


意味を見いだせれば、それは絶望ではない、ということに
気がつき、「生きる意味、そして価値」というものに注目する
ことができるようになったという。

これに対して、太田は、

「では今が福島教授は一番幸福ですか?」と聞いた。

これに対して、福島教授は、

「そうですね、今が一番幸福です。そりゃー9歳までの
目が見えて、耳が聞こえたときも幸せだったかもしれないけど
その時には、その時なりの不安やしんどいことがあったはずだし、
今もしんどいことはたくさんあるが、そこに意味を見出し、克服する
ことで幸せを感じることができるようになった。
しんどいから面白い、気持よくてトランス状態で死んでいくのは
決して幸せではないと思うのですよ」

と答えました。

このような感じで番組は終わったが、俺の感想としては、
一言でいうと、

どんな人も、どんな人生にも「意味を見出す」ということを
考えていれば、幸せになることはできる

そして、それは決して孤独なことではなく、あらゆる人との
コミュニケーションがあり、言葉を交わし、考えさせられる

そこに障害者も健常者もない・・・といことを考えるのは
その人が考えだす「意味」によるもの

客観的に考えるのも、悲観的に考えるのも「意味がある」
と考えれば、毒にも薬にもなる

「生きる意味」や「生きる価値」はすでにあるものではなく
自ら「見出す」もの

こんなことを感じたのだった。

あなたは「生きる意味」そして「生きている価値」など
考えてみたことはあるか?

なければ、考えてみることを進める。


生きる意味を考えるブログ、紹介しておきます。
あなたの投稿もお待ちしています。



http://ikiruimikathi.blogspot.com/

2009年6月9日火曜日

小悪魔に会いました

少しなまっていたので、旅をしてきた。
そこで、小悪魔に会った。

ああ、これが小悪魔かーという感じ。

俺は地獄に堕ちた。

明日詳しく書くね。

2009年6月4日木曜日

英語が新しい扉を開く

今俺は英語を勉強している。

なぜ英語を学んでいるのかというと、
孤独の旅の経験で、英語は必修と肌で感じたからだ。

英語ができるとできないでは、なにをやっても結果に
雲泥の差ができる。-前から思っていた。

特に、マーケティングや、コピーライティングを学びたい
者は絶対にやった方が良いね。

神田先生、勝間さんが実証している。

しかし、どうやっても身につかないのが英語だ。
これだけ世の中に色々な教材があるにもかかわらず

なぜか、英語をマスターできる人は少ない。

俺の子供は、二人とも高校生の頃から留学を経験し、
一人は英語の専門学校、一人はカナダの高校に
行った。

なので、それなりに話せる。

やはり、英語をマスターするには海外に行かなければ
ダメなのか・・・

この答えはよくわからん。しかし、誰もが海外に行ける
わけではないので、行かないでも英語をマスターできる
方法があれば最高だ。

こういうと、そんなのは簡単ですよ!私の教材を買ってください!
というメールが、13通ほど来る。勘弁してください。

俺は今マレーシアにいる。

進化の法則を実践しているので、
ほとんど外に出ないで、部屋にこもって、

あることをやっている。あることとは、

1.サーキットトレーニング
2.英語
3.ブログ

これだけ。

進化の法則で、同じ作業を習慣にしていったらどうなるか?
というテーマがある。

もし、ブログを真剣に毎日1時間書いていたら、
1年後はその内容が出版されるか、されないまでも文章力は
確実に上達しいる。

運動も同じ。

同様に、何かを勉強したらどうなるか?

なにを勉強するか、ここが問題だ。

進化の法則では、「今自分が一番学びたいことを学び、それを人に教える」
とある。

何かを学ぼうとしたとき、人に教えるのが覚える最短の道だ。

といっても、俺が英語を人に教えるわけにも行かない。
しかし、英語を通じ学ぶことはとても多い。

なので、その内容をブログに書いていく。たまにね。

俺が今習っている先生は日本人だが、
マーケティングから、NLPから心理学から、
エロ話まで精通している女性だ。

30数才だが、声は22才くらい。声に艶があり、響きがあり、
人を引き込む声を持っている。

そして、今日知ったのだが、彼女は自分の特徴を良く理解している。
自分の声が一番の強みだと知っているのだ。

なので、毎週欠かさずボイストレーニングをしているという。
すごいね。

だれもが、強みを持っているが、その強みに磨きをかけないで
錆びさせてしまう。

俺も、自分に甘えさび付いてしまった。

そう、皆甘えている。

まあ、いいや、今日はやめておこう。
とりあえずビールでも飲んで寝るか・・・

これでは、進化もくそもないし、成功なんて夢の夢だね。

人生は厳しいよ。楽じゃないよ。それを知らないと。

自分の特徴を知るには、ブレインダンプをやるのが一番。
ブレインダンプの進化した方法はまた後日詳しく話すよ。

そういえば、英語の先生は、
俺がエロ話でからかっても動じることはない。

逆に俺がやられるからね。たじたじだよ。

かなりな女だよ。
あんまりいうと、レッスンの時ひどい目に遭うから
この辺でやめておくけど。

これから、英語で学んだことを色々書いていくよ。

で、俺がどうやって勉強しているかというと、

単語だけをやっている。単語をまずは3000語完璧に覚える。

これだけやっている。後は、映画を1日1本見る。字幕付きで。
映画は基本の3000語で90%カバーされているというので、

確認の意味で見ている。知っている単語がばんばん出てくる。
しかし、意味がわかんない。

あ、知ってる、知ってる。意味は?
という感じ。

まだまだだね。

単語を学ぶと、コピーの表現方法が確実に広がる。
普通の日本人が使わない表現を使うので、

人が聞くと、内容は同じでもとても新鮮に聞こえる。

英語の先生が、ふと漏らす一言がとても深く、興味深い。

俺が、こういった。

「もし、生まれ変わるとしたら、もう一度今の人生を生きたい」

先生

「私はまた生まれ変わったら、平さんと出会いたいです。
そのときも、今の平さん、でいてくださいね」

こういうのは、日本人はなかなか出ないね。恥ずかしくて。

しかし、これをいわれたら、どう思う。ぐっと来ない人はいないと思う。

英語は難しいけど楽しい。

2009年6月3日水曜日

トニーさんとの出会い


マインドマップのMrトニーブザンとクアラルンプールで会った。

会ったと言っても偶然に出会っただけだが、
空港で見かけた。あれ?と思い声をかけた。

今までの俺なら、外人に声などかけられない。
しかし、孤独の旅のおかげで、外人に声をかける
のは平気になった。

「もしかして、トニーブザンさんですか?」
「そうだよ、あなたは?」
「私は、平といいます。神田先生の生徒です」
「おおそうか!彼は日本一のマーケッターだ。
 雑誌に載ったぞ!」

「知っています。あなたのマインドマップの講座にも出ました」
「そうか!東京で?}
「そうです・・・」

と会話は進んだ。およそ15分。

いっておくが俺は英語はほぼ話せない。
なので、身振り手振り、単語で、上記の内容を伝えた。
とても楽しい15分だった。

その後KLの本屋さんに行ったが、トニーブザンのコーナーがあった。
KLでもマインドマップはかなりブームだ。

マレーシアが元イギリス領だった影響もあるかな。

話は変わるが、

俺が旅をしているときに、
どんなノートやペンを使っているのか?

という質問がかなりあった。
男は文房具が好きだ。

俺も大好き。女より好きかも。

こんなのを使っている。




散歩中や、バスで移動の時には、マインドマップ手帳を使う。
一番小さいタイプ。

このタイプがアイデアを書くには一番だね。

そのアイデアをまとめるのが、A4版の5ミリ方眼になっている
ノート。ミシン線が入っており、きれいに切り離せるもの。
そして、ペンが、ラミーのペン。

東京では主にアクメのペンを使っていた。
世界一の書きやすさと言われている、知っている人は知っているペンだ。
新丸ビル4階で売っている。

俺は文房具にはこだわってしまう。
といっても、オタクではないが。

良いノート、良いペン。
気持ちが楽しくなる。ペンが進む。ワクワクのアイデアが出る。
という感じだ。

もう一つとっておきの写真を見せよう。
これが今俺がマーキングしている写真。

Richad branson だ。



彼は手帳にいつもこう書いている。

「Life's a jouney]

コットンのズボン、リネンのシャツ、モールスキンのノート、
モンブランのペン、掻き上げる豊かな髪。

自然体だ。俺もこうなりたいと思い、いつも持ち歩いている。

なりたいと思った人の写真を持ち歩く。
本を携帯する。

基本だよ。
やることやらないと。

来るべきものは必ず来る。

これが今俺の一番好きな言葉だね。

2009年6月2日火曜日

激しい朝立ち

友人が二人遊びに来た。

新しいビジネスをはじめるそうだ。
俺に相談に乗って欲しいという。

俺は、旅の途中なので、まだ仕事をするモードに入っていない。
なので、相談には乗れるが、アイデアを出せない。
というかでないと思った。

二人にこういった。

とりあえず、サーキットやろう。まともにできたら相談に乗るよ。
彼らには、来る1ヶ月前からトレーニングをしてくるように
いっておいた。

わかりました!

と元気よく言った。しかし、たいていやらない。かけ声だけ。
俺は期待していなかった。

しかし、二人を見たとき、明らかにやせて、トレーニングを積んだ
様子が見られた。

俺は、まずい!と思った。

簡単にサーキットをやられたら面白くない。
俺は急遽、メニューを変え、サーキットレベル3で行うことにした。

これならついて来れない。

しかし、・・・

何とか二人はこなした。
なかなかやる。

じゃあ、すこしブレインダンプしようか?
その前に、スーパーシエイクと、ポンチ絵書くか?

と提案。二人はあっさり請けた。

まあ、上級者なので当然か。

スーパーシエイクを飲んだ二人は、
次の朝、激しい朝立ちにおそわれた。

痛いくらいに、ポコチンが硬くなったという。

平先生、この状態を毎朝キープですか?
どうやって処理しているんです?
と聞く。よけいな質問をするなと一応いい、

断謝していると答えておいた。

ポンチ絵とは、あるテーマを決め。それを瞬時に、考える時間を
与えず、7分間で書くというトレーニング。

ぜひ、この絵のテーマを考えて欲しい。

ポンチ絵は、7分間で書き上げなければならない。
白い部分を残してはならない、必ず完成させなければならない、
という決まり以外は、決まりがない。

とても面白いトレーニングだ。

歯磨き、舌磨き、鼻うがいを行い、
サーキットを行い、
スーパシエイクをのみ、
ポンチ絵を描き、

ブレインダンプを行った。

俺もリハビリをかね1枚、フルブレインダンプを行った。
フルブレインダンプは、2時間で行う。

俺が書き上げた時時間は残り3分だった。
後の二人も書き上げた。さすがだ。

孤独の旅の効果があるかどうかわからない。
しかし、二人は、平先生確実に進化していますね!
といってくれた。

俺はほっとした。


スーパーシエイク作成中

ポンチ絵