2009年5月16日土曜日

№12 どん詰まり

2008/12/27 中国丹東

朝7時半に大連のホテルを出た。
向かう先は大連南バスターミナルだ。

その場所をホテルフロントで聞いたが一人目のホテルマンは分からない。
二人目に聞いいて分かった。どうも、中国人でもバスや列車に乗らない人は
沢山いるようだ。
俺も田舎のバスターミナルは知らないな。

タクシーで向かった。・・・乗ってしまった。
15分ほどでバスターミナルについた。

着いたはいいが、また何が何だか分からない。
どこにバスがいる?どこからはいる?本当にここか?
俺は疑り深くなっている。

いつもパニくる。どうしても落ち着けない。
一度外に出て確かめる。
大丈夫そうなので切符を売り場で丹東まで行きたいと書いた紙を見せる。

しかし、切符売りの女は知らないという。

知らないといったかどうか分からないが、よそへ行けという。
なんで、こうなるのかナー。いつも、一発でうまくいかない。

少し人の動きをみて考える。一番右の窓口の姉さんがいい人みたいだ。
そこへ行き書いた紙を見せる。―昨晩電子辞書で切符の買い方を調べたのだ。
OK切符はある。しかし、寝台はないという。

寝台?そんなに時間かかるわけないのに、おかしい。
また不安が広がる。座る席ならある。

後10分で出るがどうすると聞かれる。
俺は不安を抱きながら切符を買った。すぐに指定された1番出発口にいった。

汚いバスが泊まっていて、大連―丹東と書いてある。
これだな。と思い、乗り込む。しかし汚い。ヘボイ。
本当にこれで行き着けるのか。すると、改札の女が降りろという。
これではない。次のバスだと。ほっとした。

少し待って次のバスが来たので乗り込んだ。
客は、俺と後3名しかいない。この人数でいくのか。
儲からないなと思った。

しかし、その思いはすぐに勘違いだとわかる。
バスは、次々と停留所に止まり客を乗せていく。

おかしい!と思った。

その時、隣を高速と書いたバスが通り過ぎた。
あ!これは、普通のバスで、高速バスがあったのか!?しかし、もう遅い。
腹を決め、ゆっくりすることにした。

高速バスで4時間といっていた。
なので、普通のバスなら8時間はかかるなと思いぞっとした。
また胃が痛くなった。どうして、ことごとくうまくいかないのか。

バスはとにかくよく止まる。10分おきに次々と止まりお客を乗せていく。
ダメだこりゃ。
お客がいくら払うのか見ていたら40元だった。

バスは、田舎、少し都会、都会と同じような町を過ぎていく。
町と町が少し離れていて、だんだん都会になる。
過ぎるとまた田舎。この繰り返しだ。
田舎は恐ろしいほど田舎で、都会は東京なみの都会だ。

しかし、寒い!バスのヒーターがきかない。

運の悪いことに、俺の座った席の真上がスピーカー。
中国の漫才を延々と8時間聞かせれた。しかも大音響で・・・

何か考えようとしたが、とても無理。
人生は孤独だ・・・なぜならと考えると、
スピーカーから謝恩舎中経計噸など、訳の分からないお笑いが続く。
参った。ぐったりしてきた。

他の客は大笑いしていた。
俺は一度も笑えない。今の自分を笑った。

バスの外は小こりつく世界だ。大きな川が、流れている状態
のまま凍っている。寒さに耐えながら4時間過ぎた。休憩タイムだ。

道中トイレにいけそうもないので、水を飲むのを我慢していた。
少し外に出てゆっくりできた。また乗り込む。

大連の女性は皆きれいだ。ビックリするほどきれい。

そういえば、昨日の夜、ホテルの電話が鳴った。
マッサージはどうだという電話。俺は孤独の旅をしているのでと断った。

電話の女はしつこかったがなんとか切った。
すると、10分後くらいに、女がドアをノックした。

俺が電話を切るとき、サンキューと言ったからか?!
やばいと思い布団をかぶりいないふりをした。
何度もノックが聞こえたが、死んだふりをしてやり過ごした。

8時間後に丹東に着いた。とても賑やかだ。
天気はどんよりとした曇り、昔中国に来たことがあるが、やはりこんな天気だった。
晴れることはないのかな。寒さは大連と同じくらいだ。

誰もが厚手のジャンパーを着て、手を服に入れている。
町を少し歩いて回ろうとした。しかし、客引きが多くいつまでも着いてくる。
ホテルを紹介したいようだ。無視すると他の客引きが来る。

足場早に立ち去りご飯を食べようと思った。
下痢になるのが嫌で、中国のご飯が食べられない。
今日もパンとお菓子を食べただけだ。少し栄養をと思い、
ケンタッキーがあったので入った。セットで26元。東京と変わらない。
若者が多い。隣は大きなデパートだった。

心配はお金が足りるかということ。どこのホテルでも両替をしてくれない。
円はまったくダメ。ドルもお金がないから換えられないという。
本当に銀行ですか、ここは。

今のお金で持ちこたえられるか不安だ。
ケンタッキーをでて、Mrx指示のホテルを探した。
タクシーに書いた紙を見せた。すぐに分かった。良かった。

こんなことは中国に来て初めて!うれしかった。

タクシーがメーターを倒したのでおかしいと思い、すぐに、いくらだと聞いた。
運ちゃんは5元だという。たぶん高いと思うが仕方ない。

後で解ったが、メーターを倒すと料金表示が出る仕掛けだった。
疑った俺が悪かった。

3分くらいでホテルに着いた。感じの良いホテルだ。

英語で、泊まりたいといった。
何をいっているの?と受付の女。
えー分からないの?ワタシ・トマリタイと言った。?という顔。

仕方ないので電子辞書を出し、
チエックインしたいのですが、という中国語を音声で出した。
ああ、泊まりたいのね?OK!と女。

だってここホテルでしょうと思ったが、話せない自分が悪いのであきらめる。

電子辞書が役に立った。電子辞書は、どこでも役に立たないと思っていた。
自分が言いたい言葉をすぐに探し出せないし、
言いたいことが入っていない場合が多い。
しかし、持ってきて良かった。その日から俺は電子辞書をかわいがった。

部屋に入った。とてもきれいだ。びっくり。
外の景色はだめ。他のビルの裏庭だ。石炭が積んである。
中国はまだ石炭を使っているのだ。

今日は完璧に疲れた。普通のバスで8時間なんとか我慢した。
毎日が我慢の連続だ。
我慢したり思うとおりにいかないと、少しでもうまくいったとき、
人の親切が身にしみる。

丹東はとても寒い。外を5分歩いていると凍えてくる。
銀行で両替をしようと思い外に出た。しかし、銀行までたどり着かない。

寒い!風を引くとこの後の旅に差し支えるのでどうしても慎重になってしまう。

コーラと落花生を買って部屋に戻る。
部屋で、スチーム式の暖房器具にさわる。暖かい。とても幸せな気分になる。
少しの暖かさ、人の親切が本当にありがたい

こういう事を素直にありがたいと思える。旅に出なければ味わえなかった。

心のある人なら、人に感謝する。親切をありがたいと思う。
困った人を助ける。普通にできる。
うちの子供はいつもやっている。お店でも、タクシーの運ちゃんにでも
常にありがとうございましたという。

しかし、俺はといえば・・・感謝する大切さは知っている。・・・つもりだ。
しかし、本当に感謝していたか。それをきちんと表現していたか。

お金のない人をバカにしていなかったか。昔は自分がそうだったのに。

お金がなくて惨めな思いは十分してきたのに、
自分にお金ができると人を見下す。傲慢になる。
金で解決する。そんな事を知らず知らずにしてきたかも知れない。

お金はありがたい。親切が本当にありがたい。この気持ちを忘れないでいたい。
しかし、
人は、お金ではなく、小さな親切や思う心がありがたいのだ。

そうは思うのだが、そう考える自分と、
女を抱きたい。うまいものを食いたい。海でリゾートしたい。
など、悪魔のように、快楽の妄想を考える自分がいる。

今日バスの中で、中国の人の気持ちを考えようと思った。
しかし、TVで中国人の漫才が大音響で流れる。
それを振り切り考えようと思うと、女とやった時の事を思いだし、
どうしてもそっちを考えてしまう。

あの女は良かった。帰ったら温泉に行きやるぞとか・・・
具体的にどこをせめてとか、
エロ小説をなぞるかのようにじっくりと場面を思い浮かべてしまう。
煩悩を払いきれない・・・

大連から丹東まで中国人を観察してみた。

中国人は、何を考えているのか。みなどうしてバスに乗っているのか。
丹東行きのバスに乗っていた人は、お正月で帰省する人達が多かった。

大連のような大都会から、50年前にタイムスリップしたような村に帰っていく。
おみやげを持ってどんな気持ちで帰るのか。
深刻な顔の人、楽しそうな人、様々だが普通の表情が多いかな。
みな、なにを考えているのだろう。

俺も昔帰省していたときもあった。
東京に学生できていて正月に帰る。お金がないので、特急の普通車。
指定席を買っていないので通路に座って帰った。
その時の事を思いだした。

帰るときの気持ちは、何となくやるせない気持ち。
田舎で友人に会える楽しさ。みたいな感だったと思う。
中国の人も同じなのかもしれない。

丹東の人達は、忙しくしている人、客引き、カップル、
旅行者など、雑多な人が多い。
客引きが常に話しかけてくるので閉口した。

タクシーもすぐに声をかけてくる。
どうしても騙されるのではないかという、中国人に対する先入観があるので、
臆病になり、よけいな話をしなくなってしまう。

妙に話しかけても変だし、
中国人を見ていると何をかんがえているか分からない。
同じように、日本人でも、何を考えているか分からない。

実際に自分が一番何を考えているか分からない。

自分が分からないのに他人が分かるわけがない。

お客の心理を知る。感情を理解する。
それを勉強し教えているはずなのに自分が一番分からない。

なぜ、色々仕事に手を出してしまうのか?
なぜ、社員は俺に着いてくるのか?
なぜ、俺を慕う人がいるのか?こんな俺なのに。
俺は、何をしたかったのか?
これからどうしたいのか?
何が欲しいのか?
何を仕事としたいのか?
誰と仕事したいのか?
本当に家族がいないでも生きていけるのか?
田舎で静かに暮らせないのか?
理想的な人生はどんな人生なのか?
具体的に旅から帰ったら何をしたいのか?
Xに依存していないか?
もっと全て棄て、荷物もパソコンも棄て、孤独になり旅を続けられないのか?
なぜ、カッコつけるのか?
なぜ、人に優しくできないのか?

・・・・・・・・・・・

どうしてもこれ以上の思考が進まない。考え方を変えてみる。

Mrxは中国人を観察しその感想を書けという。
しかし、中国人に興味がわかない。それを考えてどうなるのか。

人の心を理解しろということか。
人を観察するのはすごく良いことだと思う。

ガスリーもよく観察していた。そして、それを素直に歌にした。
それが人の心を打った。
ガスリーは、占い師か?といわれた。それほど観察眼が鋭かった。

観察する力が強いので、看板をうまく書けた。―コピーが上手だった。
店をみて売れるように看板を書く。

しかし、店の人は納得いかない。
黒く塗り白抜きの文字にしろと指示を出した。
ガスリーは赤で書いた。その方が遠くから目立つという。
最もだが店主はやり直しを命じた。ガスリーは、帰ってしまった。

一人の人間を観察すれば良かったか。
沢山の人を見ていたので、どの人も数秒しか見れない。
なので、理解しようがなかった。

中国人は、毎日生きていくのに一生懸命だ。
毎日コツコツ働いてもそんなにお金にはならない。
しかし、そのお金で家族が生活をしている。
子供が家族を養っている場合もある。

大連から乗った子供達は出稼ぎだろう。家族は、子供の稼ぎを待っている。
自分で働けば良いのだが働き口がない。子供に頼るしかない。
きれいな子供は体を売る。

彼女達は自分のために働いていない。
体を張って稼いだお金を家族に送る。自分の骨身や心をけずって稼ぐのだ。
そんなことをしているから、結婚はあきらめているといっていた。
学校にも行けない。きれいな女は体で稼ぐ。

頭が良く大学を出た女は日本に留学する。
日本で働く。しかし、給料は良くない。
Sさんという知り合いが大坂にいる。
美人で頭も良い。英語、中国語、日本語ができる。日本の製造業で働いている。
しかし給料は安い。安いが。十分に生活できる。
しかし、今の生活には満足していない。もっと自分の力を伸ばしたい。
もっと勉強したいという。そして、中国の両親を幸せにするという。

みな、自分の思いではなく、家族の思い、家族のために身を削って働いている。
そして、体が使えなくなったらどうなる。

丹東の人は子供だけに頼らないで、
自分たちも少しでも稼ごうと一生懸命働いている。
娯楽などほんの少ししかないだろう。楽をして生きている人は少ない。

俺はずいぶん楽をしていた。

しかし、それは、苦労して成功した見返りで良いのではないか。
いけないのか。楽しんではいけないのか。

質素に暮らさなければならないのか。
お金もちの生活をすればねたまれる。税務署にはお金を取られる。
良いことは一つもいわれない。稼げば稼ぐほど、みなにひどい事をいわれる。

妻は言う。お父さんのこと、みななんていっているか知っている?

俺は知らない。そういう声は聞かないようにしているからだ。
聞かなければいけないのか。俺は良いことをしてきたのではないのか。
自分の成功した方法を教えてきた。確かにお金はもらった。

当たり前の報酬ではないか。
俺のやっている事は間違いなのか。

人に教えない方が良かったのか。それは絶対にない。
少なくても、数人は本当に感謝してくれている。
それだけでも俺はうれしい。

貧しい生活をしてわかることもある。
心を改めて質素に生きるか。それができれば幸せか。
誰が幸せになるのか。家族は幸せだ。家族のために生きるか。

俺がわがままをやめれば良いだけの事だ。

旅を終えた後俺は何をしたいのか。
元の生活から何も変わらなければ何のための旅だったのか分からない。
少なくても、やらないと決めたことはある。それをやらないだけでも成長した。

しかし、もっと根底となるものを進化させたい。

Mrxの言葉はいつも心の深くにしみる。
なぜなのか。人の本質を突いているからか。
実体験が想像を超えたものだからか。書物から得た知識か。
その全てだと思う。

俺はそこまで、経験していないし勉強もしていない。
勉強も知識も表面的だ。もっと深く学びたい。

しかし、学んで何をするのか。これから何をするのか。
誰と暮らすのか。誰と一生を共にするのか。
自分の人生でやりたい事は何のか。

生きている意味を知ることはできるのだろうか・・・

考えていると、そんなこと全てどうでも良い。
今まで通り生きていても誰も困らないよ。
という声も聞こえる。

俺一人が変わろうが、変わるまいが世間はどうでも良い。
俺の変わる事を望んでいるのは家族だけなのか。

俺は、どうすれば良いのか・・・ああ、先に進まない。

このまま旅は終わるのかもしれない恐怖に落ち込んだ。






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